「ラコビスタン」の支配者とは? わかりやすく解説

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「ラコビスタン」の支配者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:18 UTC 版)

ネストル・ラコバ」の記事における「「ラコビスタン」の支配者」の解説

ラコバは1920年までクバーニ黒海地区革命指導したが、翌1921年3月、エフレム・エシュバ(ru, 議長)らとともに革命委員会組織してアブハジア立法行政掌握しアブハジア社会主義ソビエト共和国成立させた。ラコバは2月から翌1922年2月まで副議長および陸海軍委員務めたほどなく同地イギリス軍により占領されると、ラコバは地下潜伏したが、その際身を寄せていた貴族家庭の娘であるサリヤ・ジフ=オグリ (ru) と恋仲となったサリヤ家族二人結婚反対したが、ボリシェヴィキ仲間ラヴレンチー・ベリヤセルゴ・オルジョニキーゼ取り成しによってネストルサリヤ同年結婚した。 ラコバは1922年2月から1930年4月17日まで、最初で最後アブハジア共和国人民委員会議議長務めその後同日から晩年までアブハズ自治ソビエト社会主義共和国中央執行委員会議長務めたまた、グルジア社会主義ソビエト共和国ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国ソビエト連邦の各中央執行委員会メンバー、およびグルジア共産党中央委員会メンバー歴任したボリシェヴィキ第13回ロシア語版)・第15回ロシア語版)・第16回ロシア語版)・第17回大会ロシア語版)にも出席している。 この頃にラコバはベリヤOGPU取り立てるようスターリン口添えしている。党中央オルジョニキーゼセルゲイ・キーロフこの人事に反対したが、ベリヤ信頼に足る人物であるとラコバが保証したため、スターリンはその反対無視した。 ラコバは、スターリン親友であるという威光から公然とグルジア共産党対立するようになり、異例に寛大な方針アブハジア統治するようになった。ラコバの下でアブハジア富農豪族保護され農場集団化も停滞したまた、1925年にはモスクワ追われ病身レフ・トロツキーとその妻ナターリヤ・セドワ(ロシア語版)が、1930年代にはロマノフ朝と関係の深かったアブハジア貴族のシェルワシゼ家(ロシア語版)が、ラコバの下で保護された。ラコバが支配する小さな独裁国家化したこのアブハジアは、同時代ボリシェヴィキによって「ラコビスタン」とも呼び表された。 それでもなおスターリン真の盟友としてダーチャで共に歌い合う仲であり続けたラコバについて、スターリン養子であるアルチョム・セルゲーエフは後に、彼が家にやってくると「家の中に光がさし込んだようだった」と語っている。また、ラコバはスターリンモスクワの他のカフカース人にタンジェリン定期的に送ることも欠かさなかった。

※この「「ラコビスタン」の支配者」の解説は、「ネストル・ラコバ」の解説の一部です。
「「ラコビスタン」の支配者」を含む「ネストル・ラコバ」の記事については、「ネストル・ラコバ」の概要を参照ください。

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