「ホワイト・エレファント」のライバルたち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)
「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「「ホワイト・エレファント」のライバルたち」の解説
この時期のメルセデスチームは、カラツィオラ、ノイバウアー、Sシリーズという強力なトリニティを有したとはいえ、後の「シルバーアロー」時代のようにイタリアとフランスのチームに対して圧倒的な優位を築いたわけではなく、イタリアのアルファロメオとマセラティ、フランスのブガッティはメルセデス・ベンツと同等かそれ以上に有力だった。 フォーミュラ・リブレであったことからSシリーズのライバルはSシリーズとは趣の異なる車が多く、ヴィットリオ・ヤーノが750㎏の2リッターフォーミュラとして設計したアルファロメオ・P2(1924年)や、スポーツカーのアルファロメオ・8C 2300(1931年)、エットーレ・ブガッティによるブガッティ・タイプ35シリーズ(1924年)、マセラティ兄弟(英語版)のマセラティ・ティーポ26(英語版)(1926年)、8C 2500(英語版)(1931年)がSシリーズの強力なライバルとなる。いずれも出力は90馬力から190馬力程度で、275馬力から300馬力程度を出力するSSK、SSKLほどの大馬力は持たなかったが、その多くは軽量な2リッターフォーミュラであり、車重は1,500kgを超えるSシリーズに対して半分ほどしかなく、優れた操縦性を武器にしてSシリーズと激しい競争を繰り広げた。1932年には軽量な車体はそのままにエンジン出力を215馬力まで引き上げた先進的なシングルシーターのアルファロメオ・P3が登場し、「ホワイト・エレファント」は止めを刺されることとなる。
※この「「ホワイト・エレファント」のライバルたち」の解説は、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の解説の一部です。
「「ホワイト・エレファント」のライバルたち」を含む「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事については、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の概要を参照ください。
- 「ホワイト・エレファント」のライバルたちのページへのリンク