「ハリケーン・スミス」としてのレコーディング・キャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 22:04 UTC 版)
「ノーマン・スミス」の記事における「「ハリケーン・スミス」としてのレコーディング・キャリア」の解説
1971年、スミスはハリケーン・スミスというレコーディング・アーティストとしてのペンネームを使用し、シングル「太陽を消さないで」によって全英2位のヒットを記録した。これは、ジョン・レノンが録音することを期待して彼が書いた曲のデモであった。彼が仲間の音楽プロデューサーであるミッキー・モストのためにそれを演奏したとき、モストはそれをそのままリリースするように彼に言うのに十分なほど感銘を受けた。1972年には、シングル「オウ・ベイブ」で大西洋を横断するほどのヒットを楽しむこととなった。この曲はキャッシュボックスにて全米1位、ビルボード・ポップにて3位というヒットを記録。全英シングルチャートでも4位となった。スミスのセルフタイトルのアルバムには、ギルバート・オサリバンの「Who Was It?」のカバー・バージョンである3つ目のヒット・シングル(全英23位)も収録されていた。 その後、「My Mother Was Her Name」(1972年)、「Beautiful Day, Beautiful Night」(1973年)、「To Make You My Baby」(1974年)といったシングルが続いた。しかし、成功した録音をプロデュースする彼のその後の試みは、とらえどころのないものだと証明された。スミスはソロでのレコーディング作の販売に尽力して、バンドとダンサーたちを伴い、当時繁栄していたイングランド北部のキャバレー・サーキットを2度ツアーした。スミスは、セッション・ドラマーであるピーター・ボイタの助けを借り、一時的に解散していたバンド「ボブ・ミラー・アンド・ザ・ミラーメン」のメンバーで大部分が構成されたスミスのバンドを「固定」した。このラインナップは、1973年にリリースされたEMIレコードのためにスミスが作った最後のアルバム『Razzmahtazz Shall Inherit The Earth』を録音するまで続けられた。 スミスはまた、ウェスト・ミッドランズを拠点とするラジオの司会者であるトニー・バトラーが、テーマ音楽として採用した「Theme From a Unmade Silent Movie」というタイトルのインストゥルメンタル・トラックを録音し、スポーツ番組において、地域の地元サッカー・チームがゴールを決めたり、多くは成功を収める場面で、この曲が頻繁に流された。アストン・ヴィラFCのファンたちによって、この曲は彼らの非公式のクラブ・テーマ曲とみなされており、試合前とハーフタイムの間にヴィラ・パークで演奏されることがよくある。2008年6月6日には、バーミンガム市交響楽団によって演奏された。 2004年、スミスは新しいコンピレーションCD『From Me To You - With My Stories』(SFMCD030)をリリースした。このCDには、彼の最大のヒット曲「太陽を消さないで」と「オウ・ベイブ」の新録ヴァージョンが収録されている。ライナーノーツには、ポール・マッカートニーとピンク・フロイドのメンバーからのメッセージが含まれている。 2011年、ジョン・ル・カレの『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を原作とする映画『裏切りのサーカス』が公開。「太陽を消さないで」が挿入曲として使用された。
※この「「ハリケーン・スミス」としてのレコーディング・キャリア」の解説は、「ノーマン・スミス」の解説の一部です。
「「ハリケーン・スミス」としてのレコーディング・キャリア」を含む「ノーマン・スミス」の記事については、「ノーマン・スミス」の概要を参照ください。
- 「ハリケーン・スミス」としてのレコーディング・キャリアのページへのリンク