「めしのはんだや」発祥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 10:20 UTC 版)
「仙台市都心部#横丁・屋台」および「宮城野橋#周辺」も参照 戦後占領期の仙台駅前(西口)には屋台や青空市場(後の仙台朝市)などが並んでいたが、1950年(昭和25年)に青葉通の建設が始まると、建設中にも関わらず同通りの歩道部分にも屋台が連なるようになった。青葉通が完成した1954年(昭和29年)、国鉄(現JR)仙台駅西口側の名掛丁にあった菓子工場の跡地に「じゃんじゃん横丁」(小新堂通)が設置された。1958年(昭和33年)6月11日、その「じゃんじゃん横丁」(小新堂通)において、庶民にお腹いっぱい食事をしてもらうことを願って「めしのはんだや」が創業した。創業者に近い古川の協力者から仕入れた食材を使い「はんだやのメシはササニシキ100%」「安くて美味い物を心豊かにお腹いっぱい」食べることが出来る店としてカフェテリア形式で展開した。 この1号店は駅前店(座席数13席、仙台市青葉区中央1-8-30、地図)として長く営業を続け、終戦後の闇市飲食店的雰囲気を伝えており「聖地」と呼ばれていたが、再開発の影響により2008年(平成20年)7月26日に閉店した。
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