“おまん”の姿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 03:45 UTC 版)
おまんの素性、外見、売り口上などは、朝倉無声が雑誌『此花』二十二枝に寄稿した記事を始め、四壁庵茂鳥『わすれのこり』(成立年不明。後、明治42年に『続燕石十種』に収録)、青葱堂冬圃の『真佐喜のかつら』(成立年不明)、石塚豊芥子の『近世商買尽狂歌合』(1852年)といった主に天保期の風俗を記した随筆集に見られる。以下に示すおまんの姿はそれらを統合した姿である。 文化年間の末期、もしくは天保の初め頃、江戸市中に女装した飴売りの男がいた。紅色の襦袢の上に大きな角木瓜の五所紋がある黒木綿の紋付を羽織り、萌黄色の木綿帯を前に結び、臙脂色の前垂れ、黒塗りの笠、赤い鼻緒の草履を履いている。年齢は30代~40代の肥満した男だが口紅を塗った女姿で、四谷鮫ヶ橋から来たという元屋根職人という。青紙を貼った籠に飴を詰めて商いをしていた。百文以上の買い物には唄や踊りを披露した。 かわいけりやこそ神田からかよふ、にくて神田からかよはりよか。おまむがあめじやに一ツてふ四文じや 角木瓜の五所紋は常磐津の紋。四谷鮫ヶ橋は現在の新宿区若葉3丁目から南元町周辺で、当時は岡場所として有名だった。 『近世商買尽狂歌合』ではこの姿を、「当時はやりものの随一なり。その音声いやみなる身ぶり、また他に類いなし」と評している。“いやみな姿”とはわざとらしく科(しな)をする仕草のこと。『真佐喜のかつら』では「声おかしく」とあり、宮尾輿男は男声で唄ったのではないかとしている。
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