賀茂真淵
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ゆかりの地
江戸の住居跡は賀茂真淵県居の跡として東京都中央区(日本橋久松町9先)に説明書きが立っている。また、墓は東海寺大山墓地(東京都品川区北品川三丁目)にある[18]。浜松の生家の側には「賀茂真淵記念館」(静岡県浜松市中央区東伊場一丁目22-2)がある。
- 縣居神社:真淵を祭っている神社。境内に真淵の歌碑がある。
- 賀茂神社:真淵の先祖をまつっている神社。
- 賀茂真淵翁顕彰碑:真淵生誕の地に建てられた。「賀茂真淵生誕の跡」碑がある。
- 五社公園:真淵生誕300年を記念して、万葉歌碑が建てられた。歌碑の文字は、真淵直筆の「万葉集遠江歌考」より転写した。
著書
- 『賀茂真淵全集』増訂 全12巻 賀茂百樹増訂、吉川弘文館、1927-32
- 『賀茂真淵集』与謝野寛、与謝野晶子、正宗敦夫編纂校訂(1912)、現代思潮社「日本古典全集」、1983
- 「歌意考」-『日本古典文学大系 近世文学論集』中村幸彦校注、岩波書店、1966
- 「歌意考」「邇飛麻那微」「国意考」「語意考」-『日本思想大系 近世神道論・前期国学』阿部秋生校注、岩波書店、1972
- 「歌意考」-『日本古典文学全集 歌論集』橋本不美男・有吉保・藤平春男校注・訳、小学館、1975
- 『賀茂真淵全集』全27巻 続群書類従完成会、1977-92、新版・八木書店
脚注
参考文献
- 著書
- 三枝康高『賀茂真淵』吉川弘文館〈人物叢書〉、1962年。
- 庄田元男 編訳『アーネスト・サトウ 神道論』平凡社〈東洋文庫〉、2006年。ISBN 4582807569。
- 日本古典文学大辞典編集委員会 編『日本古典文学大辞典簡約版』岩波書店、1986年。ISBN 4000800671。
- 論文
関連文献
- 佐佐木信綱『賀茂真淵と本居宣長』廣文堂書店、1917年
- 小山正『賀茂真淵伝』春秋社、1938年
- 山本嘉将『賀茂真淵論』初音書房、1963年
- 田林義信『賀茂真淵歌集の研究』風間書房、1966年
- 井上豊『賀茂真淵の業績と門流』風間書房、1966年
- 武島又次郎『賀茂真淵』クレス出版、1995年。ISBN 487733002X(復刻:近世文芸研究叢書)
- 奥村晃作『賀茂真淵:伝と歌』短歌新聞社、1996年。ISBN 4803908079
- 中澤伸弘『やさしく読む国学』戎光祥出版、2006年。ISBN 4900901709
- 原雅子『賀茂真淵攷』和泉書院、2011年。ISBN 9784757605992
- 片山武『賀茂真淵門流の万葉集研究』万葉書房〈万葉叢書11〉、2014年。ISBN 9784944185153
- 高野奈未『賀茂真淵の研究』青簡舎、2016年。ISBN 9784903996912
- 田中康二『真淵と宣長:「松坂の一夜」の史実と真実』中央公論新社〈中公叢書〉、2017年。ISBN 9784120049484
- 國學院大學日本文化研究所編『歴史で読む国学』ぺりかん社、2022年。ISBN 9784831516114
- 今野真二『日本とは何か:日本語の始源の姿を追った国学者たち』みすず書房、2023年。ISBN 9784622095972
関連項目
注釈
- ^ 「岡部家は代々加茂神社の禰宜(ねぎ)となり、『賀茂県主(あがたぬし)』と呼ばれていた」(三枝康高 1962, p. 43)。「真淵の実父の政信は、分家筋」(三枝康高 1962, p. 60)。「農事をもっぱらにした実父政信」(三枝康高 1962, p. 74)。「政信(中略)家の生計は、もっぱら農事によってたてられていた」(三枝康高 1962, p. 63)。「賀茂真淵県主(あがたぬし)は百姓の子なり」(小山田与清 『擁書漫筆』、三枝康高 1962, p. 17より孫引き)。
- ^ 「宝永四年は真淵大人(うし)十一歳になれり、(中略)手習ひ始めなるべし」(杉浦比隅満 『古学始祖略年譜』、三枝康高 1962, pp. 67–68より孫引き。資料に関しては同書309頁参照)。
- ^ 「岡部政長の養子となる」(三枝康高 1962, p. 312)。
- ^ 「梅谷脇本陣がすなわち真淵の養家にあたり、」(三枝康高 1962, p. 120)。「脇本陣の若主人になったことが真淵にとって」(三枝康高 1962, p. 122)
- ^ 「浜松宿の脇本陣、梅谷方良の養子になった」(三枝康高 1962, p. 117)
- ^ 「いくつかの説(中略)享保十八年、三十七歳のとき京へのぼり、春満を師とした(中略)これにたいして(中略)真淵自らも『学びのあげつろひ』において、「三十に余りて京へおりおり行て、荷田うしに学びつるも」という。(中略)享保十三年(中略)ならば真淵も三十二歳であり、(中略)上京したとしても不審は無く、(後略)」(三枝康高 1962, pp. 139–140)。「享保十三年(一七二八)に三十二歳で春満に入門してから」(三枝康高 1962, p. 165)。
- ^ 「元文二年(一七三七)(中略)江戸の土をふみ、信名のもとに身を寄せた。」(三枝康高 1962, p. 182)。
- ^ 「師たるべき位置を与えられた」(三枝康高 1962, p. 184)。「古典についての共同研究を、飽かずにおこなってゆく」(三枝康高 1962, p. 187)。
出典
- ^ “賀茂真淵について”. 賀茂真淵記念館. 2021年5月3日閲覧。
- ^ 明治38年11月12日に従三位に追陞(「故賀茂真淵外一名贈位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10110212900 )
- ^ a b c d e f g h i j k l m 井上豊 「賀茂真淵」(日本古典文学大辞典編集委員会 1986, pp. 399–401)
- ^ “国学の四大人(こくがくのしたいじん)の意味”. goo国語辞書. 2020年7月22日閲覧。
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 11頁。
- ^ 日本史用語研究会『必携日本史用語』(四訂版)実教出版(原著2009-2-2)。ISBN 9784407316599。
- ^ 庄田 2006, p. 29(原文は『賀茂翁家集』「序文」(新編国歌大観 第9巻1 所収)。)
- ^ 三枝康高 1962, p. 19.
- ^ 三枝康高 1962, p. 69.
- ^ 三枝康高 1962, p. 100.
- ^ 三枝康高 1962, p. 103.
- ^ 三枝康高 1962, pp. 179–180.
- ^ 三枝康高 1962, p. 224.
- ^ 内田宗一 2016, pp. 42–43.
- ^ 内野吾郎 「油谷倭文子」(日本古典文学大辞典編集委員会 1986, p. 1875)
- ^ 内野吾郎 「土岐筑波子」(日本古典文学大辞典編集委員会 1986, p. 1322)
- ^ 内野吾郎 「鵜殿余野子」(日本古典文学大辞典編集委員会 1986, p. 175)
- ^ 内田宗一 2016, p. 40.
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