柔道 プロ柔道によるブラジルでの異種格闘技戦

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柔道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 05:23 UTC 版)

プロ柔道によるブラジルでの異種格闘技戦

エリオ・グレイシーの首を締め付ける木村政彦

1951年国際柔道協会(プロ柔道)の木村政彦七段、山口利夫六段、加藤幸夫五段の日本柔道使節がブラジルに招かれた。この時、グレイシー柔術異種格闘技戦を行っている。

9月6日に加藤幸夫がリオデジャネイロエリオ・グレイシーと対戦。試合は10分3ラウンド、投げによる一本勝ちはなし、ポイント制無しの柔術デスマッチルールで行われ引き分けに終わる。9月23日に二人は再戦したが、8分目で加藤が下からの十字絞めで絞め落とされエリオの一本勝ちに終わった。

雪辱戦として10月23日木村政彦がエリオ・グレイシーと対戦。だが、さすがのエリオも木村相手では子供扱いされた。木村が2R開始3分目で得意の腕緘に取りエリオは意識がなくなっていたため、兄のカルロスがストップを申し出し木村が勝利、日本柔道の名誉を守った。木村政彦は「鬼の木村」の異名を持ち、戦前から全日本選手権を13年連続保持、15年間無敗のまま引退した柔道家で、史上最強と言われる。木村は切れ味鋭い大外刈りで有名だが、寝技でも日本トップの力を持っていた。

この木村政彦とエリオ・グレイシー戦までの経緯、試合内容については書籍『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』が詳しく記述している。それによると、試合後は互いに2人が相手の強さと精神を称え合うものだったという。エリオは木村の強さに感動し、腕緘にキムラロックという名前をつけた。

「柔の理」から「精力善用」「自他共栄」への発展

講道館柔道創始者の嘉納治五郎は「相手の力を利用して相手を制する」という「柔の理・柔能く剛を制す」の理論を発展させ、いわば全ての場面を説明するため、状況に応じた臨機応変な「主体的・積極的な力の発揮」も必要であること、それに加えて攻撃防御の際の精神上の働きから考えてみて、明治30年代に至って柔の理のみに依らぬ柔道を解説するようになる。

嘉納は1922年の「講道館文化会」の創立における「講道館文化会」綱領において「精力善用」(精力最善活用)・「自他共栄」(相助相譲自他共栄)を発表する。

  1. 精力の最善活用は自己完成の要決なり。
  2. 自己完成は他の完成を助くることによって成就す。
  3. 自他完成は人類共栄の基なり。

嘉納治五郎の説く「精力善用」(柔道とは心身の力を最も有効に使用する道)には二つの意味が含まれている。その一つは、目指す目的に向かって、身体、精神の総力を合理的、能率的に活用し最大の効果を上げるという意味である。いま一つは、人間の真に生きる目的が人間「社会生活の存続発展」[162][163]に役立つことにあるとし、それが「善」であり、行為の目的が常に善であることが有効の度合いを高めるとの意味である。「心身の力を最も有効に使用する道」は、この両方の意味を合わせたものであって行為の目的がより大きな善であり、かつ目的達成の方法がより合理的、能率的であるための原理すなわち「道」を究明し、実践することが「柔道」であるということである[164]

「精力善用」「自他共栄」の二大原理が、単なる攻撃防御の方法の原理ということから、人間のあらゆる行為の原理へと、大きく拡大したことによって、柔道の意味内容も大きく拡大することになる。

精力最善活用によって自己を完成し(個人の原理)、この個人の完成が直ちに他の完成を助け、自他一体となって共栄する自他共栄(社会の原理)によって人類の幸福を求めるに至る。

精力善用による普遍性と柔剛一体

嘉納治五郎は、武術面における「精力善用」を説明する上で、従来の原理の相手の力を利用して相手を制する「柔能く剛を制す」だけでは柔道(柔術)の幾つもある理屈の中の一つの理屈にとどまり大きな包含的な言葉ではない[165][注釈 7]として、それに対し、さらにそれも内包するものとして、いついかなる場合にも当てはまる理屈[167]、普遍性[168]を持つ包含的な概念としての「精力善用」に至る。嘉納は柔道の全ての技に対し「今一つ心掛けていてもらいたいことは、練習中、全ての技は、精力最善活用の原理に適うように、工夫して練習しなければならぬ[169]」と語っている。 また従来の「柔の理」では説き明かせない補完される場面、強い拘束から逃れる場面や、巧みに力を利用して強い力が弱い力を破る場面、平素乱暴して皆が困っている悪者を捕り押さえよう等するがその対手が向こうから攻撃してこずこちらからそれ相応の方法で手を出す必要がある場面[170][171]、また勝負時の相手を蹴る、手で突く、刀で斬る、棒で突く[172]などの当身にも応用される[173]包含的な原理・概念となる。

精力善用に関する嘉納自身の言説には「剛」という言葉による説明はないが、嘉納の普遍的な思想・精神は空手界にも影響し、中国古典の三略に由来する「柔の理」の「柔能く剛を制す」(柔能制剛)と対になる造語として「剛能く柔を断つ」(剛能断柔)という言葉が生まれたとされる[174]。また少林寺拳法の開祖の宗道臣は、柔道は「柔を主である」としながらも嘉納の言説から「柔剛一体(剛柔一体)」と理解されるとしている[175]

柔道用語における概念の普遍性は「精力善用」によって説明されるが、近年のメディア作品によって「柔能く剛を制し、剛能く柔を断つ」「柔剛一体」の言葉によって柔道を説明する場面が見られる[注釈 8]。しかしそれらは本来的には「精力善用」に内包された概念となっている。

戦後柔道の変遷とその抱えた矛盾

生前の嘉納治五郎の柔道観と他の競技運動観・オリンピック活動

講道館柔道創始者の嘉納治五郎は柔道の国民的・国際的普及を進めるとともに、大日本体育協会初代会長やアジア人初のIOC国際オリンピック委員会)委員などの役職を兼任し、他の体育や他の外来の競技運動についても国民的に奨励し推進していた。嘉納は、競技運動と柔道の関係について受ける質問について、両極端なものとして、「外来の競技運動を排斥し日本人の精神教育も道徳的修養も出来る日本固有の武術のみで事足りるという声」、逆に「競技運動の利益を説いて完全に競技運動化を推進する声」、のいずれも当を得た考えでないとし、次のように言及していた。

「柔道とは大きな普遍的な道である。それを応用する事柄の種類によっていろいろな部門に別れ、武術ともなり体育ともなり智育徳育ともなり、実生活の方法ともなるのである。しかるに、競技運動とは勝敗を争う一種の運動であるが、ただそういうことをする間に自然身体を鍛錬し、精神を修養する仕組みになっているものである。競技運動は、その方法さえ当を得ていれば、身体鍛錬の上に大なる効果のあるものであるというのは争う余地はない。さりながら、競技運動の目的は単純で狭いが、柔道の目的は複雑で広い。いわば競技運動は、柔道の目的とするところの一部を遂行せんとするに過ぎぬのである。柔道を競技的に取り扱うことはもちろん出来ることであり、また、して良いことであるが、ただそういうことをしただけでは柔道本来の目的は達し得らるるものではない。それゆえに、柔道を競技運動的にも取り扱うことは今日の時勢の要求に適ったものであるということを認めると同時に、柔道の本領はどこにあるかということを片時も忘れてはならぬのである。」[176]

一方で嘉納は普及や国民の理解を得る上での乱取試合や競技面の利点も挙げながら、戦前から活発になっていった試合とその上での勝利至上主義に向かう柔道修行者を強く憂いてもおり、身体鍛練で技を争うのは「下の柔道」で、精神修養を含むのが「中の柔道」、さらに身心の力を最も有効に使って世を補益するのが「上の柔道」と論じた。大正11年(1922年)、「精力善用・自他共栄」を柔道原理として制定していた。

嘉納は「柔道は単に競技として見るよりは、さらに深く広いもの故、自ら求めてオリンピックの仲間に加わることを欲しない」と語っており、柔道が五輪競技となることには消極的であったと言われているが、クーベルタン男爵や国際オリンピック委員会の推薦を受け自身がIOC委員となりオリンピック・ムーブメントに参加するに際し、嘉納は柔道と戸外スポーツの両立の必要性について言及している。

「それまでには、体育のことなら柔道さえやっていればそれでよいと考えていたのだが、翻ってさらに深く思いをよせると、柔道だけではいけないことが分かってきた。柔道も剣道も体力を鍛え、武士道精神を修練させる秀れたものには違いないが、一般大衆の体育を振興させるにはこれだけでは満足できない。といって(当時の)体操は興味に乏しいのと、学校を出るとやるものがない。野球や庭球は面白いが設備が要るから誰でもやれない。少数のものには良いが、国民全般がやるには向かない。 だが歩行、駆け足、跳躍なんかはだれでも出来る。また費用も要らない。単に歩行することは面白くないかもしれぬが、神社仏閣に詣でるとか、名所旧跡を訪ねるようにすれば、道徳教育とも結びついてくる。大いに奨励すべきことだ。水泳もやらねばならぬ運動である。(中略)そしてすでに高等師範学校では生徒に長距離競走や水泳を奨励して実践させていた。

(中略)だから武道と戸外スポーツとは、どうしても両々相俟って発達していくようにしたいと思っていた。(中略)西洋で発達したオリンピック競技もこれを取り入れ、武士道精神を加味させることは出来ない相談ではないと考えた。」

そして他競技上でも日本人のオリンピック参加における大きな展望を掲げていた。

「日本精神をも吹き込んで、欧米のオリンピックを、世界のオリンピックにしたいと思った。それには自分一代で達成することが出来なかったら、次の時代に受け継いでもらう。長い間かかってでもよいから、オリンピック精神と武道精神とを渾然と一致させたいと希ったのである。 その最も手近い方法としては、我が国の選手が、心にしっかりとした大和魂、武士道精神を持っていて、競技場では世界選手の模範になることだ。」[177]

戦後柔道の変容とその抱えた矛盾

嘉納治五郎の没後、柔道は変遷を経験することになる。

1938年(昭和13年)5月、嘉納治五郎はカイロでのオリンピック会議の帰途、病死するに至る。

日本政府はその年、7月15日、1940年に開催が決定していた1940年東京オリンピック返上を閣議決定する。

1939年(昭和14年)9月にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、1941年(昭和16年)12月には太平洋戦争が起こる。戦況が拡大するにつれ、1942年(昭和17年)には日本では大日本武徳会が政府主導に改組される。その中では、剣道、柔道、弓道が、銃剣道、射撃道と共に中心的武技として軍国主義思想に利用されていくことになる。新武徳会における剣道の傘下には種々の武器術武道・武術も、また柔道の中(傘下)には空手や捕縄術、古流柔術など種々の徒手格闘や対武器技術の武道・武術も総合して含むことも明文化される。

1945年(昭和20年)、日本は太平洋戦争における敗戦を経験し、1946年(昭和21年)11月には剣道、柔道、弓道などは軍国主義に加担したとしてGHQにより武道禁止令を受け、大日本武徳会は解散させられることになる。

その後国内での再開の努力や文部省による請願書の提出、海外の柔道連盟の発足などを受けて1950年、柔道は学校教育における再開を果たす。

しかし柔道は武道禁止令の解禁に際し、「競技スポーツとしての柔道」が外圧によって誓約されることになる。それはいわば便宜的なものとも捉えられるものでもあったため、日本の指導者の中にはいつか再び武道を精神教育の中心として復活させようという志を持つ者も多くいた。

しかし国際スポーツ化の流れの中で、1964年東京オリンピック開催に際し、生前の嘉納治五郎が消極的態度をとっていた柔道のオリンピック競技化への道を進むことになる。

それらの流れの上で柔道の変容については次のような指摘がある。

体育」面では、

「競技の国際化に伴って、次第に競技に勝つための「身体(体力)強化」論が強まることになる。一方では「」が実践されなくなることに示されるように、嘉納が強調した「身体の調和的発達や保健」という側面は弱化されていく。結果的に、競技力向上のための「強化」が柔道実践の中心となっていき、「体育」として嘉納が重視した大衆性や生涯に亘る継続性の側面は見失われていった。」

勝負武術)」面では、

「「競技スポーツとしての柔道」が浸透することによって「勝負は競技場の場における出来事」として限定されていき、戦前ではかなり強く意識されていた、武術としての追及は急速に弱化していった。 そのことはまた、武術性を保持する目的が加味されていた「形」の実践の低下とも結びついていった。「柔道はスポーツである」ことが世界共通の認識となっていき、ますます「武術としての柔道」論は顧みられなくなっていくことになった。」

修心」面、特にその「徳育」面には、 昭和60年頃までは、「武道」や「修行」そして「礼儀」という観点から「徳育の低下」を食い止めようとする論調が盛んであった。それら徳育の低下への憂いは基本的に、たとえ「競技スポーツとしての柔道」を容認する者であっても、「他の競技スポーツと柔道は単純に同一ではない」という認識から発せられていた。特に戦前来の多くの指導者では、武道が有する「真剣味」こそが精神の高揚に役立つとする「武道としての柔道」論も根強く残存し、また「修行」という弛まぬ継続性が人間を向上させ、「礼儀」とは日常生活全般に浸透したものでなければならない、という価値観が継承されていた。

しかし、柔道による徳育の効果が、戦前では人間としての「生き方」や「生活」に結びつくものでなければならなかったのに対して、「競技スポーツとしての柔道」では競技という場に限定されてしまうことが問題視されたのであった。

また、武道独特の修行観や段位に対する価値観、あるいは礼儀作法という行動面においてもその低下が憂慮されてきた。

また「精力善用・自他共栄」は、

戦後も不断に唱えられ続けてきたが、昭和60年頃から以降はその唱えはかなり減少する。

概して、嘉納が唱えたようにそれらを「日常・社会生活へ応用する」といった側面は強調されなくなり、「精力善用・自他共栄」を「競技スポーツとしての柔道」にどのように活かしうるか、そこへの関心が集中することになる。

一部で、「競技スポーツとしての柔道では精力善用・自他共栄の理念を活かし難い」という批判が出されていったが、その論調は、「勝ちさえすれば目的を達するような傾向が横行しだした」というように、「勝利第一主義への批判」と結び付いたものであった。

それら変容を決定づけた最大の原因は、競技場で当然のごとく求められた「勝利志向」の強まりにみられる。 その理由は、勝利志向の「強まり」と、弱者への配慮(すなわち大衆性)や他者肯定(すなわち道徳性)の「低下」との間には避けがたい相関があり、また、「勝利志向の強まり」が、「競技」の時空のみへと視野を限定させ、柔道を生活や生き方に応用するという幅広い価値観も見失わせた。

ことに日本の柔道界では、国際舞台での勝利が、発祥国としての意地と誇りによって強く求められたがゆえに、「勝利」という価値が「競技化の促進」という価値と容易に結びつき、戦前では修行者の動機づけを高めるための手段的価値に位置づいていた「勝利」が、次第に目的的な価値へと転換していった。

嘉納は生前、教育的価値の体系を保持するために、幾度も「目の前の勝敗に囚われるな」と唱えたが、このような戦後における「勝利の目的化」によって、その体系は崩れていった[178]


注釈

  1. ^ 講道館師範嘉納治五郎先生遺訓「柔道は心身の力を最も有効に使用する道である。その修行は攻撃防禦の練習に由つて身体精神を鍛錬修養し、斯道の神髄を体得する事である。さうして是に由つて己を完成し世を補益するが、柔道修行の究竟の目的である。」
  2. ^ 該当の試合については日時、場所、対戦相手、勝敗結果について明白な史料はなく、山下義韶の回想記(雑誌『キング』1929年10月号)では明治19年(1886年)2月に講道館四天王西郷四郎(小説『姿三四郎』のモデル)が好地円太郎に山嵐で勝ったというほか、明治18年5月、明治19年(1886年)6月、10月説などもあり、西郷四郎の相手も昭島太郎であったという説もある。
  3. ^ 他の競技では原則として、準決勝で敗れた国・地域同士による対戦。競技により行われず3位が2カ国となるものもある。
  4. ^ 書籍『詳解 柔道のルールと審判法 2001年度版』では1998年となっている
  5. ^ コード・モラルは、もともと1970年代に当時有段者会会長だったジャン=リュシアン・ジャザランが示した柔道有段者たちの名誉規範と伝統的な道徳規範を基にしている。ジャザランによれば、柔道有段者たちの規範は、新渡戸稲造の『武士道』で示された考え方から着想を得たものだという。
  6. ^ ブラジリアン柔術については、レスリングやサンボと異なり、寝技で仰向けで下になってもガードポジションを取っていればスコア・ポイントが取られない、絞技がある、という柔道との共通性から、日本の柔道選手の間でも取り組まれつつある。
  7. ^ 嘉納は後年に至っても「柔の理・柔よく剛を制す」がまちがった観念であるとは述べておらず、実践的な次元における原理を論じる際には必ずといってよいほどそれを引き合いに出している。つまり嘉納は、それをすべての現象に応じうるいわば普遍的な「応用原理」としては限界があるとしたが、なおも柔道を表現する際の表象としてそれを止め置いた[166]
  8. ^ 1994年から2000年に週刊少年マガジンで連載された『新・コータローまかりとおる! 柔道編』の作中において、柔道における「柔能く剛を制す」「剛能く柔を断つ」の対比と、「柔剛一体」への言及がある。
  9. ^ 関連項目:未必の故意

出典

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