将軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/25 02:00 UTC 版)
古くから東洋における軍隊の指揮官の役職名の一つであった。外交上または軍隊内の敬称としては閣下が用いられる。なお、古代中国では「将軍は皇帝に任命された官職」「将は王侯や地方領主に任命された官職」と区別されている。
語源
将軍は中国において発祥した語であるが、その意味は文字通り、「軍を
4世紀〜6世紀には、高句麗・百済・新羅・倭などの諸国が中国王朝(南朝宋ほか)と外交を結び、より位階の高い将軍号を求めて競い合った。
中国歴代王朝における将軍号の序列
武官への将軍号の加官は前漢以降に顕著となる。秦代以前は大将軍、前将軍、左将軍、右将軍、後将軍、偏将軍、稗将軍程度であった。前漢の武帝以降に驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍といった高い地位をもつ「重号将軍」と、役割や軍事的功績を示す称号を付けた「雑号将軍」が現れた。重号将軍は将軍府を開府し、さらに政治に関与することもあった。漢代には大・驃騎・車騎・衛・四方(前左右後)だけだったが、三国時代以降は四征将軍・四鎮将軍・四安将軍・四平将軍が重号将軍に加わった。前者を朝廷にあって政治に参加する中朝廷将軍、後者を外征や任地にあって治安を担当する外朝廷将軍とする分類方法がある。これらは各王朝によって制度に差異があり、また後世が便宜的に分類したものであり一律ではない。
上段の称号ほど、また左側の称号ほど、格上となる[1]。
品秩 | 将軍号 |
---|---|
一品 | 大将軍 |
二品 | 驃騎・車騎・衛、諸大将軍 |
三品 | 四征(征東・征南・征西・征北) 四鎮(鎮東・鎮南・鎮西・鎮北) 中軍・鎮軍・撫軍 四安(安東・安南・安西・安北) 四平(平東・平南・平西・平北) 前・左・右・後 征虜・冠軍・輔国・龍驤 |
四品 | 左衛・右衛・驍騎・遊撃 左軍・右軍・前軍・後軍 寧朔 建威・振威・奮威・揚威・広威 建武・振武・奮武・揚武・広武 |
五品 | 積射・彊弩 鷹揚・折衝・軽車・揚烈・寧遠・材官・伏波・凌江 |
3世紀〜7世紀東アジア諸国による中国王朝授与の将軍号の序列
3世紀〜7世紀に中国王朝と外交交渉を持った東アジア諸国は、国主に対して「王」号とともに、(1)軍事指揮官としての管轄領域の広さ、(2)将軍号の格付けなどに関して、より上位の称号を求めてせめぎ合った。
(1)管轄領域について: 「都督◯◯諸軍事」 ◯◯に管轄する地域名称が入る。
- 「都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事」(「倭の五王」の一部が「仮授」(=自称)した管轄領域)
- 「都督百済諸軍事」(歴代百済王が除正された管轄領域)
- 「都督営州諸軍事」(高句麗長寿王が413年に宋から「除正」された管轄領域)
(2)3世紀〜7世紀の中国歴代政権は、中国の軍事指揮官に授与するのと同一カテゴリーの将軍号を、近隣諸国・諸民族の君主たちに授与した。
国名 | 将軍号の上昇 |
---|---|
高句麗 | (南朝授与)征東将軍→征東大将軍→車騎大将軍→撫軍(東)大将軍→寧東将軍 (北朝授与)征東将軍→車騎大将軍→安東将軍→驃騎大将軍→大将軍 |
百済 | 鎮東将軍→鎮東大将軍 |
倭 | 安東将軍→安東大将軍→鎮東大将軍→征東大将軍 |
加羅 | 輔国将軍 |
吐谷渾 | 征西将軍 |
4世紀〜7世紀に倭・百済・高句麗・新羅・渤海の王と臣下たちが受けた将軍号
4世紀〜6世紀、中国の周辺諸国では、君主の代替わりごとに中国に使者を派遣し、君主に所属する「王号・軍事指揮官としての管轄領域・将軍号」等のセットについて更新し、また配下の豪族・官僚のための「将軍の称号」と「幕府(=将軍府)に所属する文官の称号」を求め、それを配下に分配することにより、国内を統制しようとした[2]。(→府官制)
倭・百済・高句麗・新羅等が中国に送った国書の中には「仮授〜」または「私署〜」と称して、君主とその配下に授与を希望する称号が列挙提示されているのを確認できるものが見られる。中国王朝の側では、称号のランクアップを出ししぶり、先代君主の称号を踏襲するのが通例であった。中国王朝が、近隣諸国の君主・臣下の称号を認定することを「除正」と称する[2]。
西暦 | 王名(臣下名) | 将軍号(仮授) | 将軍号(南朝除正) | 備考 |
---|---|---|---|---|
421年 | 倭讃 | 安東将軍[3] | ||
438年 | 倭珍 | 安東大将軍 | 安東将軍[4] | |
〃 | 倭隋(王族) | 平西将軍[5] | ||
〃 | (倭隋を含む臣下13人に) | 平西将軍・征虜将軍・冠軍将軍・輔国将軍など[5] | ||
443年 | 倭済 | 安東将軍[6] | ||
451年 | 倭済 | 安東大将軍 | (昇格せず)[7] | |
462年 | 倭興(世子) | 安東将軍[8] | ||
478年 | 倭武 | 安東大将軍 | 安東大将軍[9] | |
479年 | 倭武 | 鎮東大将軍[10] | 斉による一方的な陞爵の可能性。[11] | |
502年 | 倭武 | 征東大将軍[12] | 梁による一方的な陞爵の可能性[12]。 |
西暦 | 王名(臣下名) | 将軍号(仮授) | 将軍号(南朝除正) | 備考 |
---|---|---|---|---|
372年 | 餘句 | 鎮東将軍[13] | ||
416年 | 餘映 | 鎮東将軍[14] | ||
421年 | 餘映 | 鎮東大将軍[15] | ||
457年 | 餘慶 | 鎮東大将軍[16] | ||
458年 | 餘紀(王族) | 行冠軍将軍 | 冠軍将軍[17] | |
〃 | 餘昆(王族) | 行征虜将軍 | 征虜将軍[17] | |
〃 | 餘暈(王族) | 行征虜将軍 | 征虜将軍[17] | |
〃 | 餘都(王族) | 行輔国将軍 | 輔国将軍[17] | |
〃 | 餘乂(王族) | 行輔国将軍 | 輔国将軍[17] | |
〃 | 沐衿 | 行龍驤将軍 | 龍驤将軍[18] | |
〃 | 餘爵(王族) | 行龍驤将軍 | 龍驤将軍[18] | |
〃 | 餘流(王族) | 行寧朔将軍 | 寧朔将軍[18] | |
〃 | 糜貴 | 行寧朔将軍 | 寧朔将軍[18] | |
〃 | 于西 | 行建武将軍 | 建武将軍[18] | |
〃 | 餘婁(王族) | 行建武将軍 | 建武将軍[5] | |
502年 | 餘大 | 征東大将軍[12] | 梁による一方的な陞爵の可能性[12]。 | |
521年 | 餘隆 | 寧東大将軍 | ||
524年 | 餘明 | 綏東大将軍 | ||
570年 | 餘昌 | 車騎大将軍 |
西暦 | 王名(臣下名) | 将軍号(仮授) | 将軍号(南朝除正) | 将軍号(北朝除正) | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
413年 | 高璉 | 征東将軍[19] | 東晋より。 | ||
417年 | 高璉 | 征東大将軍[15] | 宋より。 | ||
435年 | 高璉 | 征東将軍[20] | 北魏より。 | ||
463年 | 高巨連 | 車騎大将軍[21] | 宋より。 | ||
492年 | 高羅雲 | 征東将軍・領護東夷中郎将 | 北魏より。 | ||
492年 | 高羅雲 | 征東大将軍 | 梁より。 | ||
502年 | 高羅雲 | 車騎大将軍[12] | 梁より。 | ||
508年 | 高羅雲 | 撫軍(東)大将軍 | 梁より。 | ||
520年 | 高羅雲 | 車騎大将軍 | 北魏より、死後追贈。 | ||
520年 | 高興安 | 安東将軍・領護東夷校尉 | 北魏より | ||
520年 | 高興安 | 寧東将軍 | 梁より | ||
534年 | 高宝延 | 領護東夷校尉 | 北魏より | ||
534年 | 高宝延 | 寧東将軍 | 梁より | ||
550年 | 高平成 | 驃騎大将軍・領護東夷校尉 | 北斉より | ||
560年 | 高陽成 | 領護東夷校尉 | 北斉による。 | ||
562年 | 高陽成 | 寧東将軍 | 陳による。 | ||
577年 | 高陽成 | 大将軍 | 北周による。 | ||
581年 | 高陽成 | 大将軍 | 隋による。 |
西暦 | 王名(臣下名) | 将軍号(仮授) | 将軍号(除正) | 備考 |
---|---|---|---|---|
648年 | 金文王 | 左武衛将軍 | 唐による。金春秋の子。 | |
674年 | 金仁文 | 右驍衛員外大将軍 | 唐による。王弟。 | |
675年 | 金法敏 | 右驍衛員外大将軍 | 唐による。王。金仁文の兄。 | |
687年 | 金理洪 | 輔国大将軍・行左豹韜尉大将軍 | 武周による。 | |
702年 | 金興光 | 輔国大将軍・行左豹韜尉大将軍 | 唐による。 | |
713年 | 金興光 | 驃騎将軍・特進行左威衛大将軍軍 | 唐による。 | |
以降の歴代は将軍号を受けず。 |
西暦 | 王名(臣下名) | 将軍号(仮授) | 将軍号(除正) | 備考 |
---|---|---|---|---|
692年 | 大祚栄 | 左驍衛大将軍 | 唐による。 | |
719年 | 大門芸 | 左驍衛将軍 | 唐による。王弟。唐に亡命。 | |
737年 | 大欽茂 | 左驍衛大将軍 | 唐による。 | |
794年 | 大嵩璘 | 右驍衛大将軍 | 唐による。 | |
大嵩璘の時、君主の称号が「郡王」から「国王」へ と進み、それに伴い付随する官職、爵位、都督職な ども格上げされ、以降の歴代「国王」は「将軍」号 に変わり文官職を授かるようになった。 |
「仮授」は、受封側が希望する称号、「除正」は中国側が実際に授与した称号。
近代以降の軍隊における将軍
近代以降の軍隊では、陸軍・空軍・海兵隊の将官の階級としては、准将 (Brigadier General) 、少将 (Major General) 、中将 (Lieutenant General) 、大将 (General) が存在する(英語表記はアメリカ軍の場合)。また将官の上に元帥(アメリカ陸軍の場合は General of the Army)が存在する。ただし呼びかけや表記の際の呼称としては、准将から大将、元帥までひっくるめて General が用いられる。この将官をひっくるめた呼称(佐官ではないが詳細な階級が不明な場合)としての General の和訳語として将軍が用いられる。具体的には、XXXX なる名前の将官を、XXXX 将軍 等と表記する。たとえばダグラス・マッカーサーの階級は陸軍元帥 (General of the Army) であり、日本語では「マッカーサー元帥」と呼称される事が多いが、英語の呼称では General MacArthur であり、これをそのまま訳した場合は「マッカーサー将軍」となる。アメリカのテレビ作品の邦題として「パットン将軍」「将軍アイク」なる言葉が使われている(ただしこれはアメリカ軍の場合であり、元帥に関してはヨーロッパ各国では Marshall の語を使っている国も多い。そういった国では大将から准将までをひっくるめた呼称が将軍であり、元帥は将軍とは別個の物として扱われる)。
海軍における将官の呼称は Admiral であり、これの和訳語は「提督」であるが、日本では海軍の場合も准将・少将・中将・大将と陸軍などと同じ階級を用いるため、海軍における将官の呼称としても「将軍」を用いる場合がある。例えば上村彦之丞(日本海軍の軍人・最終階級は海軍大将)の渾名は「船乗り将軍」である。
- ^ 河内 2018, p. 63
- ^ a b 河内 2018
- ^ 河内 2018, p. 58-59
- ^ 河内 2018, p. 73-79
- ^ a b c 河内 2018, p. 82-84
- ^ 河内 2018, p. 93
- ^ 河内 2018, p. 103-106
- ^ 河内 2018, p. 114-119
- ^ 河内 2018, p. 127-135
- ^ 河内 2018, p. 210-211
- ^ 河内 2018, p. 210-215
- ^ a b c d e 河内 2018, p. 211
- ^ 河内 2018, p. 10
- ^ 河内 2018, p. 47
- ^ a b 河内 2018, p. 48
- ^ 河内 2018, p. 79-80
- ^ a b c d e 河内 2018, p. 80
- ^ a b c d e 河内 2018, p. 79-80
- ^ 河内 2018, p. 33
- ^ 河内 2018, p. 87
- ^ 河内 2018, p. 122
- ^ a b c 杉橋隆夫『鎌倉右大将家と征夷大将軍・補考』立命館大学〈立命館文學 624〉、2012年1月 。
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