国鉄485系電車 概要

国鉄485系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 09:25 UTC 版)

概要

1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化では地上設備の低廉性などから交流電化を推進し、各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。さらに特急列車の運転区間が地方線区に拡大され、上述の異電源方式区間への直通運転要求に応えるために製造されたのが本系列である。

1964年昭和39年)から関西⇔北陸九州向け特急用に直流/交流60 Hz対応の481系電車が、翌1965年から関東⇔東北用に直流/交流 50 Hz対応の483系電車が製造された。1968年からは交流の周波数が50 Hz・60 Hz両対応となった485系電車が製造され、本系列の統一形式名となった。

1971年には派生系列として信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)でEF63との協調運転に対応した489系電車の製造も開始された。

本系列は1979年(昭和54年)まで製造が行われ、四国を除く日本各地の特急列車に投入された。当初は主に東京大阪名古屋などの大都市圏と交流電化された東北・北陸・九州方面直通特急で、山陽東北上越の各新幹線開業後は、新幹線連絡特急などで運用された。北海道にも投入されたが、同地の冬期の極寒と乾燥度の高い雪による故障が頻発し(→詳細は#1500番台を参照)、道内専用形式781系と交代する形で撤退した(その後、青函トンネル開業に伴う乗り入れで道内運用は復活している)。

1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、北海道旅客鉄道(JR北海道)・東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)に継承され、1990年代以降はジョイフルトレインへの改造も施工された。しかし、2000年代に入ると後継車両への置き換えや老朽化に伴う廃車が進行し、2017年3月3日に全ての定期運用を終了[1]2022年(令和4年)12月11日に最後まで残っていた「リゾートやまどり」編成が退役し、同年12月28日付で廃車[2]、これをもって485系電車は消滅した。

登場の経緯

国鉄初の特急型直流電車である151系(旧20系電車)は、1958年11月1日より東京 - 大阪・神戸間特急「こだま」として運転を開始した[3]。151系とほぼ同時に急行型の153系(旧91系)も東京 - 名古屋・大垣間準急「東海」に投入された[3]

交直流電車では急行型の451系が、1962年10月1日より上野 - 仙台間急行「みやぎの」で運転を開始したが、特急型は当初151系電車交直流版の新製投入が検討されており、451系電車と同時に上野 - 仙台間特急として投入する予定であったが[3]、東海道新幹線開業で余剰となる151系電車に交直流化改造を施工する計画があり[注 1]、既存車両を活用する配慮から新製計画は凍結となった[3]。しかし方針が新幹線開業を機に特急列車網整備へ再転換となり、151系電車交直流化改造は見送られ山陽本線や上越線に転用された[3]

この結果、一旦は見送られた交直流特急型電車新製計画が再開[3]。1964年12月25日からは北陸本線系統で交流60 Hz用の481系が、1965年10月1日からは東北本線系統で交流50 Hz用の483系が営業運転を開始した[3]








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