北九州監禁殺人事件
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死刑囚M
記事中仮名 死刑囚M | |
---|---|
個人情報 | |
生誕 |
1961年4月28日(62歳) 日本 福岡県北九州市小倉北区 |
殺人 | |
犠牲者数 | 7人 |
犯行期間 | 1996年頃–2002年3月6日 |
国 | 日本 |
逮捕日 | 2002年3月6日 |
司法上処分 | |
刑罰 | 死刑 |
有罪判決 | 殺人罪・詐欺罪・監禁致傷罪 |
判決 | 死刑 |
1961年(昭和36年)4月28日生まれ[8]。福岡県北九州市小倉北区出身[8]。福岡拘置所に死刑囚として収監されている[9]。
実家は畳屋で[8]、7歳の頃に父親が実家の家業を引き継ぐため福岡県柳川市に転居した[8]。経済的には裕福な家庭であり、母親と祖母に甘やかされて育った。小学校の全学年でほとんどの教科の評定が「5」であり、学級委員長や生徒会役員を務め、中学1年時には校内の弁論大会で3年生を差し置いて優勝し、部活ではキャプテンを務めたが、当時から虚言癖があり、教師からの信用は低かった。
実際に小中学生時代の同級生への取材では「彼が弁論大会で優勝した記憶は無い。部活のキャプテンは本人が強く望んだため押し切られる形であった、チームプレイが出来ずレギュラーではなかった」また別の同級生からは「成績は良かったがズバ抜けているわけではなく、進学先も中程度の学力であった」と語られており、ライターの小野一光は「弁護側の冒頭陳述で出てきた内容と事実に乖離があることを感じずにはいられない」としている[10]。
Bと同じ高校に進学し風紀委員長になるも、不純異性交遊が発覚して男子校に転校させられた。
転校先の高校を卒業して父の店を受け継ぎ、家業を布団販売業に転換、有限会社化のちに株式会社にする(社名ワールド)[11]。1992年に指名手配されるまで詐欺商法を繰り返す[8]。1980年に結婚して1男をもうけるが、1992年に前妻と離婚[12]。その後に内妻Bと2男(C・D)をもうける。
病的なまでの嘘つきで、自意識が強く目立ちたがり屋。饒舌でいくつもの顔を持ち、エリートを演じる傾向がある。礼儀正しく愛想が良いが、猜疑心、嫉妬心が強い(アフェクションレス・キャラクターの傾向) 。異常なまでに執念深く嗜虐的。
また、虚勢を張るところもあるが、実際には神経質で臆病な小心者だったようで、息子の証言では暴力団から厳しい借金の取り立てに遭った時は、部屋で小さくなり閉じ籠っていた。また、出所したMの刑務所仲間によると、収監中のMは他の囚人や刑務官に対しては腰が低く礼儀正しく振る舞っていたが、実際には刑務官から「全く反省していない」と吐き捨てられていたと言う。
Mは「東大卒のコンピューター技師」「京大卒の予備校講師で物理学者の逸材で小説家志望」「実家は村上水軍の当主」「兄は東大卒の医者」など様々な嘘の経歴を名乗っていた。
Mは容姿や話術から女性から好感を持たれる魅力があり、それにより様々な女性遍歴があった。Mは同時に複数の女性と肉体関係を持っており、交際女性とその母親と同時に肉体関係を持っていることもあった[注 1]。Bと元妻はMが同時に複数の女性と肉体関係を持っていることを知っていたが、Mとなかなか別れようとしなかった。Mの証言によると、この事件関係者である内妻のBの家庭については、BだけでなくBの母GやBの妹Hとも同時並行で肉体関係を持っていた。Mはこのことについて「奇妙な人間関係」と表現している。GやHの肉体関係については相手が誘ってきたとMは主張しているが、Bや元妻などMと交際して生存している女性によると、交際のきっかけはMから誘ってきたと述べている。また、Mは女性と性行為をする際に写真を撮影することがあり、Mが撮影した性行為の写真はBだけではなく、GやHのものも存在して監禁事件における材料として使われ、事件発覚後に警察に押収されたという。
Bを含む被害者たちだけでなく、過去の交際女性、会社の従業員、顧客なども標的にして苛烈な暴力を振るい、時には標的とした人々をマインドコントロールにかけて、本事件に近い形で暴行の共犯者にし、彼らに対して絶対的な存在として振る舞っていた。
事件発覚後に元妻は、「Mはとにかく自信家で大きなことばかり言って、人に夢を持たせる」「Mは自分を『世の中の救世主』と語っていたが、「Mと出会った人は全員不幸になった」「Mによっていつか死人が出ると思ってた」「多くの嘘で上塗りをしていくと、Mの中では本当のことになる」「あんな人間、二度と出てこない」という言葉を残している[13]。
両親を含めた親族は取材を拒否している。なお、Mが経営していた会社の元従業員は「Mは暴力団幹部と付き合いがあった。Mの実父からピストルを見せられたことがある」と法廷で証言している[14]。またMの親戚に結婚詐欺や手形詐欺など詐欺についての知識が豊富な人物がおり、事件前に他界しているものの、M家やMが経営する会社に出入りし、Mの詐欺はこの親戚の影響を受けていたという[15]。
息子によると、服役中に糖尿病を患ったらしく、現在は目も見えず日常生活も助けを借りなければならないと言う。
注釈
- ^ Mによると交際女性とその母親と同時に肉体関係を持つことは日常茶飯事という。また元妻の証言によるとMがスナックを経営する母娘双方に入れ込んでいた事例では、母娘双方ともMに入れ込んでいるとM自身が元妻に報告し、Mから「あなたは母が本気になっている相手だから、私は諦める」旨が書かれた娘からの手紙を元妻に見せている。
- ^ 豊田本では「服部恭子」、中尾本では「沙織」、新潮文庫では「美子」と仮名になっている。
- ^ 2022年11月27日以前は、同年3月22日生と記載。要出典。
- ^ 佐木本と新潮本では実名で、豊田本では「服部清志」、中尾本では「前島」と仮名になっている。
- ^ Bの家族の中で唯一、Bと血縁関係がない。Bより3歳年上である。
- ^ a b c Mが妻と離婚したのは数年後の1992年に相手側の調停によって行われたものであり、また離婚したMがBと結婚してBの家に婿養子入りすることはなかった。
- ^ 夫に対しては次女の養育費名目、実家に対しては再婚費用として。
- ^ Bの供述では「今までの迷惑料、Bが家に出てからの諸経費、Bの行動に関する補償金、BがGを小倉のマンションに呼んだ時に見つからないようにAを浴室に閉じ込めた際の慰謝料など」があった。
- ^ Hがトイレ使用の際はBが監視役だったが、H死亡前の時期にHにナプキンを渡したことは一度もなかったという。
- ^ Iのセックス問題について、Bは法廷で「Hは毎晩久留米から小倉に来ているため、朝になるのは仕方ないと思う」とIを擁護している。
- ^ Bはこの言葉を「殺すことに逆らえないのなら、自分の手で殺したほうがHのため」という悲壮な決意と受け止め、胸が詰まったという。
- ^ Bは裁判で「Mに意思を抑圧されていた」と主張するも退けられ、Mとの共謀を認定された。また、一審判決ではIについては「Mに逆らうことが難しかった」とされながらもM及びBと共謀したとされている。
- ^ Bは裁判で「Mに意思を抑圧されていた」と主張したが退けられ、Mとの共謀を認定された。
- ^ Bは裁判で「Mに意思を抑圧されていた」と主張したが退けられ、Mとの共謀を認定された。
出典
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固有名詞の分類
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