ピエール・リトバルスキー 人物

ピエール・リトバルスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 13:21 UTC 版)

人物

プレースタイル

170cmに満たない身長ながら、柔軟なボールタッチを生かしたドリブル突破を持ち味としていた。プレースキックも得意であり、ジェフユナイテッド市原移籍後2戦目のヴェルディ川崎戦では25mの位置から直接フリーキックを決め、1993年にはどの選手よりも多くのフリーキックによる得点を挙げた[48]

幼少期からラシン・パリ在籍時までは常に右ウィングまたは右サイドハーフとしてプレーしていたが、かねてより背番号10を身に着けるゲームメーカーに憧れており、1.FCケルン復帰後に初めてこのポジションでプレーする機会を得た[49]ブランメル仙台加入当初はリベロとしてもプレーした。

私生活

プロデビュー2年目の1979年、16歳の頃から付き合い早くから婚約していたドイツ人女性と結婚式を挙げた[50]。1.FCケルン移籍直後はワンルームの狭い部屋で同棲していたが、結婚を機に近代的な高層マンションに移り、1.FCケルンでスター選手になってからは郊外のヴァイラースヴィストに持ち家を手に入れた[51]。1982年に長女が誕生し、ラシン・パリ時代は妻が妊娠していたこともあって途中から単身赴任の形となった。日本行きに際しても妻と2人の娘はヴァイラースヴィストにとどまったため疎遠となり[52]、その後に離婚した。日本で現夫人と知り合い、2男をもうけている。二男のルシアンは、プロサッカー選手である[53]

1989年春のドイツ連邦大統領選挙の際には連邦議会の選挙人となり、キリスト教民主同盟 (CDU) を支持していると報道されたために、CDUに反対する国民の間に過剰反応を引き起こした。新しく誕生したドイツ連邦共和国の首都問題に際して「ベルリンを首都にすることには反対だ」と答えたため、その意見に反対する者から洗濯かごいっぱいの手紙が届けられた[54]

日本語が流暢であり[40]、サッカー番組のトークや解説などでは日本語で話すことが多い。中村俊輔セルティックFCに所属していた際にグラスゴーで収録が行われた日本のテレビ番組に出演し、アルシンドとタッグを組んでさまざまな競技などで中村に挑戦した。アルシンドとともに(左利きの)中村に対して日本語で「右足で蹴れ」などと冷やかし、挑発に乗った中村は実際に右足で蹴った。


  1. ^ リトバルスキー1994、50頁によれば、1.FCケルン移籍直後、チームメイトのハラルト・シューマッハーが「名前が長すぎる」という理由でリティと呼んだのがはじまりである
  2. ^ リトバルスキー1994、80頁によれば、リトバルスキーとプレースタイルが似ているスタンリー・マシューズ、あるいは漫才師のスタン・ローレルに由来しており、ケルンのジャーナリストやチームメイトの中にはこの呼び名を使う者も多かった
  3. ^ リトバルスキー1994、9頁によれば、母親がフランス風の名前を好んだためピエールという名がついた
  4. ^ a b リトバルスキー1994、16頁
  5. ^ リトバルスキー1994、42頁
  6. ^ リトバルスキー1994、100-104頁
  7. ^ リトバルスキー1994、121頁
  8. ^ リトバルスキー1994、143-148頁
  9. ^ “pierre-littbarski 88-89”. kicker.de. https://www.kicker.de/pierre-littbarski-11822/spieler/1-bundesliga/1988-89/1-fc-koeln-16 2020年4月16日閲覧。 
  10. ^ “pierre-littbarski 89-90”. kicker.de. https://www.kicker.de/pierre-littbarski-11822/spieler/1-bundesliga/1989-90/1-fc-koeln-16 2020年4月16日閲覧。 
  11. ^ リトバルスキー1994、214-215頁
  12. ^ リトバルスキー1994、232-236頁
  13. ^ a b 還暦を迎えたリトバルスキー氏、日本への愛を語る「私はおそらく心のなかでは日本人なのだよ」”. GOAL (2020年4月16日). 2023年3月14日閲覧。
  14. ^ “pierre-littbarski 92-93”. kicker.de. https://www.kicker.de/pierre-littbarski-11822/spieler/1-bundesliga/1992-93/1-fc-koeln-16 2020年4月16日閲覧。 
  15. ^ “pierre-littbarski”. kicker.de. https://www.kicker.de/pierre-littbarski-11822/spieler/1-bundesliga/1991-92/1-fc-koeln-16 2020年4月16日閲覧。 
  16. ^ リトバルスキー1994、255頁
  17. ^ a b Sports Graphic Number 332 1994年2月3日号 p.42-43
  18. ^ a b “「私の心は明らかに日本人」 元Jリーグ大物助っ人、来日後の“変化”告白「生まれ変わった」”. football-zone.net. (2004年12月15日). https://www.football-zone.net/archives/256909 2020年4月16日閲覧。 
  19. ^ リトバルスキー1994、294頁
  20. ^ “リトバルスキー”. data.j-league. http://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=770 2020年4月16日閲覧。 
  21. ^ “ジェフ千葉、歴代最強外国籍選手5人。リトバルスキーにオッツェ、オシム時代の実力者たちも”. footballchannel.jp. https://www.footballchannel.jp/2020/04/21/post371324/ 2020年4月21日閲覧。 
  22. ^ “’93JリーグNICOSシリーズ 第4節第1日”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=154 2020年4月16日閲覧。 
  23. ^ a b c Jサッカーグランプリ 1994年10月号 p.10
  24. ^ “94JリーグNICOSシリーズ 第12節第1日”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=656 2020年4月16日閲覧。 
  25. ^ “リトバルスキーさんインタビュー”. www.jiji.com. https://www.jiji.com/jc/v4?id=201606littbarski&p=201606littbarski-jpp0127525 2020年4月16日閲覧。 
  26. ^ 月刊ブランメル仙台 1996 NO.23号 p.8-9
  27. ^ 月刊ブランメル仙台 1996 NO.20号 p.3-4
  28. ^ 月刊ブランメル仙台 1997 NO.28号 p.6-7
  29. ^ 月刊ブランメル仙台 1997 NO.29号 p.6-7
  30. ^ 【ベガルタ仙台魂】リトバルスキー、最終ラインでプレー世界のリティ”. サンスポ (2018年4月25日). 2024年3月14日閲覧。
  31. ^ “Austria-Germany Oct 141981 Match sheet”. transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/spielbericht/index/spielbericht/928074 2020年4月8日閲覧。 
  32. ^ “Germany-France Jul8 1982 Match sheet”. transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.co.uk/spielbericht/index/spielbericht/965882 2020年4月8日閲覧。 
  33. ^ Most Assists World Cup 1982-planet World cup 1982
  34. ^ “Germany-Netherlands Jul21 1988 Match sheet”. transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.co.uk/spielbericht/index/spielbericht/946327 2020年4月8日閲覧。 
  35. ^ “Germany-United Arab Emirates Jul15 1990 Match sheet”. transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.co.uk/spielbericht/index/spielbericht/928045 2020年4月8日閲覧。 
  36. ^ “Germany-Colombia Jul 1990 Match sheet”. transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.co.uk/spielbericht/index/spielbericht/928056 2020年4月8日閲覧。 
  37. ^ “Germany-Argentina Jul 8 1990 Match sheet”. transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.co.uk/spielbericht/index/spielbericht/928085 2020年4月8日閲覧。 
  38. ^ “神戸監督にリトバルスキー氏決定的”. 大阪日刊スポーツ新聞社. (2004年12月15日). http://osaka.nikkansports.com/osc/p-ot-tp3-041215-0008.html 2010年10月27日閲覧。 
  39. ^ “12月のトピックス”. アビスパ福岡公式サイト. オリジナルの2011年7月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110716095342/http://www.avispa.co.jp/release/news/topic0612.html#tag22 2010年10月27日閲覧。 
  40. ^ a b リティ哲学が福岡を変えるスポニチ、2007年1月24日
  41. ^ “リティ監督、猶予3試合の初戦落とした”. ニッカンスポーツ. (2008年7月11日). https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20080512-358936.html 2010年10月27日閲覧。 
  42. ^ “福岡がリティ監督解任、後任に篠田コーチ”. ニッカンスポーツ. (2008年7月11日). https://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp0-20080711-382414.html 2010年10月27日閲覧。 
  43. ^ “リトバルスキー氏がサイパ新監督に”. AFC公式サイト. (2008年7月26日). http://www.the-afc.com/jp/afc-champions-league-2009-previous-competitions/20063 2010年10月27日閲覧。 
  44. ^ “ファドゥーツ新監督にリトバルスキー氏”. UEFA.com. (2008年11月4日). http://jp.uefa.com/memberassociations/association=lie/news/newsid=770201.html 2010年10月27日閲覧。 
  45. ^ “Pierre Littbarski in Vaduz entlassen”. Baz Online. (2010年4月12日). http://bazonline.ch/sport/fussball/Pierre-Littbarski-in-Vaduz-entlassen/story/15323042 2010年10月27日閲覧。 
  46. ^ “リトバルスキー氏がコーチ就任 ウォルフスブルク”. msn産経ニュース. (2010年6月10日). https://web.archive.org/web/20101121194653/http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/100610/scr1006101111017-n1.htm 2010年10月27日閲覧。 
  47. ^ VfL part company with Steve McClaren / Pierre Littbarski takes over VfLヴォルフスブルク公式サイト英語版 2011.2.7付ニュースリリース
  48. ^ リトバルスキー1994、288-290頁
  49. ^ リトバルスキー1994、158-159頁
  50. ^ リトバルスキー1994、68頁
  51. ^ リトバルスキー1994、81頁
  52. ^ リトバルスキー1994、320-321頁
  53. ^ 2部降格のフュルトが19歳の日独ハーフMFを獲得…父は日本でもプレーしたリトバルスキー氏”. Goal (2022年5月20日). 2022年11月26日閲覧。
  54. ^ リトバルスキー1994、174-177頁






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