トーマス・ラッフルズ トーマス・ラッフルズの概要

トーマス・ラッフルズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 13:46 UTC 版)

略歴

父はベンジャミン・ラッフルズ[4]、母はアン・リデ[5]。1781年、父が商船アン号のなか、ジャマイカ沖で産まれた[4]。2番目の妻ソフィアとの間に5人の子供を授かった[5]

1795年[6]、14歳よりロンドン東インド会社で職員として働き始め[4][6]1805年[7]、当時プリンス・オブ・ウェールズ島と呼ばれていたマレー半島ペナン島に赴任し[8][9]マレー語を習得する[10][11]1811年ナポレオン戦争当時フランスの勢力下にあったジャワ島[12][13]イギリス領インド(イギリス東インド会社)から派遣された遠征軍に参加し[7]、ジャワ副総督(副知事、: Lieutenant-governor)に任命され、統治に当る[14]。なおlieutenant-governorは準知事であり、副総督と訳すのは誤訳とする説もある[15]。このとき、ジャワ島の密林に眠るボロブドゥール遺跡を再発見する[16]1816年にジャワ島がオランダに返還され[17]、イギリスに帰国[18][19]。この間、1817年に『ジャワ誌英語版』(“The History of Java”)を刊行し[20]、同年ナイトの称号を授与された[21]。『ジャワ誌』以降、「トーマス」という名の使用をやめ、ミドル・ネームである「スタンフォード」を好むようになる。

1818年スマトラにあったイギリス東インド会社の植民地ベンクレーン(ブンクル)にベンクレーン副総督(準知事)(: Lieutenant-governor of Bencoolen)として赴任した[22][23]。当地において、マレー半島南端の島シンガポールの地政学上の重要性に着目し[24]ジョホール王国の内紛に乗じてシンガポールを獲得した[25][26]。同島の開港は1819年2月6日のことである[27]

シンガポール川と金融街を背景に立つラッフルズ像

ラッフルズは1820年自由貿易港を宣言して[28]1822年から1823年までシンガポールに留まり[29]、植民地の建設にたずさわった[30]。また、ジャワ統治時代に鎖国中の日本と接触を図るが失敗に終わっている[31]。1824年にはイギリスに帰国し[32]1826年ロンドンで死去した[33][34]

ラッフルズは動物学[35]歴史学など、当時の諸科学に多大な興味を寄せており[1]ジャングルの調査を自ら組織している。世界最大級の花「ラフレシア」 (Rafflesia) は、発見した調査隊の隊長であった彼の名にちなんでつけられたものである[36]。また、種の学名「ラフレシア・アルノルディイ」 (Rafflesia arnoldii R.Br.) は、ラッフルズと同調査隊に同行した博物学者ジョセフ・アーノルド英語版にちなんで名づけられている[37]。また、ラッフルズの植物学研究の協力者ウィリアム・ジャックによれば、1819年のシンガポール獲得の際には新種のウツボカズラ3種を含む植物多数を採集したといい、そのウツボカズラの一つはNepenthes rafflesianaと命名されている[38]

脚注


  1. ^ a b 石井, 米雄(監修)、土屋, 健治、加藤, 剛 ほか 編『インドネシアの事典』同朋舎出版〈東南アジアを知るシリーズ〉、1991年、441頁。ISBN 4-8104-0851-5 
  2. ^ 信夫 (1968)、序 4頁
  3. ^ 桃木至朗(代表) 編『新版 東南アジアを知る事典』平凡社、2008年、473-474頁。ISBN 978-4-582-12638-9 
  4. ^ a b c 信夫 (1968)、44頁
  5. ^ a b Family of Sir Stamford Raffles”. singapore infopedia. National Library Board. 2019年12月10日閲覧。
  6. ^ a b 坪井 (2019)、6頁
  7. ^ a b 信夫 (1968)、106頁
  8. ^ 信夫 (1968)、47頁
  9. ^ 坪井 (2019)、7頁
  10. ^ 信夫 (1968)、59-60頁
  11. ^ 坪井 (2019)、24頁
  12. ^ 信夫 (1968)、89頁
  13. ^ 坪井 (2019)、28-30頁
  14. ^ 信夫 (1968)、114頁
  15. ^ 浜渦哲雄『イギリス東インド会社』中央公論新社、2009年、168頁。ISBN 978-4-12-004083-2 
  16. ^ 坪井 (2019)、79頁
  17. ^ 信夫 (1968)、181-182頁
  18. ^ 信夫 (1968)、238頁
  19. ^ 坪井 (2019)、37頁
  20. ^ 信夫 (1968)、244頁
  21. ^ 坪井 (2019)、37-38頁
  22. ^ 信夫 (1968)、249-250頁
  23. ^ 坪井 (2019)、38頁
  24. ^ 信夫 (1968)、300-301頁
  25. ^ 岩崎 (2013)、8頁
  26. ^ 坪井 (2019)、44-47頁
  27. ^ 信夫 (1968)、314-315頁
  28. ^ 坪井 (2019)、55頁
  29. ^ 信夫 (1968)、411頁
  30. ^ 岩崎 (2013)、19頁
  31. ^ 坪井 (2019)、33頁
  32. ^ 信夫 (1968)、413・418頁
  33. ^ 信夫 (1968)、427-429頁
  34. ^ 坪井 (2019)、92-93頁
  35. ^ 信夫 (1968)、420-422頁
  36. ^ 信夫 (1968)、422頁
  37. ^ 植村好延「ラフレシア発見譚」『生命誌』第7号、JT生命誌研究館2019年12月12日閲覧 
  38. ^ 川島昭夫『植物園の世紀 イギリス帝国の植物政策』共和国、2020年、ISBN 978-4-907986-66-7、218-220ページ


「トーマス・ラッフルズ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「トーマス・ラッフルズ」の関連用語

トーマス・ラッフルズのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



トーマス・ラッフルズのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのトーマス・ラッフルズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS