エナメル質 名称の変遷

エナメル質

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 03:55 UTC 版)

名称の変遷

現在では「エナメル質」が一般的だが、1940年代までの日本では「琺瑯質(ほうろうしつ)」という用語が一般的だった。「エナメル質」が用いられ始めたのは1950年代からで、特に藤田恒太郎『歯の組織学』(1957)の影響が大きい。「琺瑯質」から「エナメル質」に切り替わった時期は大学ごとに異なる。例えば、鶴見大学歯学部では松井隆弘教授により1981年まで「ほうろう質」が、東京歯科大学では1994年まで「琺瑯質」が使用され、そのあと「エナメル質」に切り替わった[8]。同様に「セメント質」も「白亜質」に変わったが、「象牙質」のみはそのままだった[9]。歯科医の浮谷英邦は東歯大時代の講義において、教授から用語は不適切だが時代の流れなので国家試験で「エナメル質」「セメント質」と出題されても我慢するようにと言われたという[9]

エナメル質から琺瑯質へ用語が切り替わった時期についてネット上には誤った俗説、例えば「エナメル質は戦時中、敵性語と見なされ琺瑯質と言い換えられた」あるいは「帝銀事件の犯人が琺瑯質という用語を使ったのは真犯人が東京歯科大学の前身の関係者である証拠」など間違った言説が数多く見られるので、注意を要する。

構造

上の部分がエナメル質。
下はセメント質。

エナメル質の基本構造はエナメル小柱と呼ばれている[5]。エナメル小柱は組織化されたパターンの中に多くの水酸燐灰石の結晶が入っている[1]。断面は、頭を外側に、下を内側においた鍵穴のように見える。

エナメル小柱の中の水酸燐灰石の結晶の配置は非常に複雑となっている。エナメル質を作るエナメル芽細胞トームス突起(英語: Tomes' process の両方が結晶のパターンに影響を与える。エナメル小柱頭部の結晶は小柱の長軸に完全に平行となっている[1][7] が、尾部では方向が長軸とややずれる[1]

エナメル小柱の配置は内部構造よりも理解しやすい。エナメル小柱は歯に沿って列を作り、象牙質に垂直に配置されている[10]永久歯では、エナメル-セメント境付近のエナメル小柱はわずかに歯根の方に傾く。象牙質の支持を受けないエナメル質は破折しやすいので、歯の保存修復においてエナメル質の走行を理解することは重要である[10][11]

エナメル小柱の周りはエナメル小柱間質として知られている。エナメル小柱間質はエナメル小柱と同じ構成を持っているが、結晶の方向が異なるので、組織学的に区別される[7]。エナメル小柱間質とエナメル小柱の結晶が合う境界は、エナメル小柱鞘と呼ばれる[12]

顕微鏡でエナメル質の断面を見たときに見える縞をレチウス条と呼ぶ[10]。トームス突起の直径の変化によって起こるこれらの縞は、木の年輪のようにエナメル質の成長を示す[13]。レチウス条が表層に出た所に、周波条(英語: Perikymata と呼ばれる浅い溝が見える[14][15]新産線は他の縞より暗く出生前後の境界を示す[16]。また、反射光を用いて顕微鏡でエナメル質を見た際に現れる明帯と暗帯が交互に並ぶ領域を、ハンター・シュレーゲル条(英語: Hunter-Schreger band と呼ぶ[17]。これは小柱の走行の変化により起こる光学的現象であり、光の方向が変わると明帯と暗帯は逆転する[17]

境界部

歯頸部にあるエナメル質とセメント質の境界をエナメル-セメント境(セメント-エナメル境とも)と呼び、これは解剖学的歯頸線と一致する。歯頸線は唇(頬)側および舌(口蓋)側では歯根側に凸弯し、近心側および遠心側では歯冠側に凸弯する[18]。拡大して見た場合、滑らかな曲線ではなく、鋸歯のような複雑な形を示す[19]。境界部でエナメル質とセメント質は約30%が移行的に連続するが、約60%はセメント質がエナメル質を覆い、約10%が連続せずに象牙質が露出している[20][21]。エナメル質を覆っている部分のセメント質はセメント舌と呼ぶ[21]。また、大臼歯では、歯頸部から歯根部にかけて球状のエナメル質塊が存在することがあり、これをエナメル滴と呼ぶ[22]

エナメル質と象牙質の境界をエナメル象牙境と呼ぶ。横断研磨標本において、同部を調べると、一定の間隔でエナメル小柱が蛇行、ねじれ弯曲などのために暗くなっている部分があり、これを エナメル叢(英語: Enamel tufts と、エナメル象牙境からエナメル質表層まで向かう薄板状の構造を エナメル葉 と、象牙質側からの紡錘状の侵入物を エナメル紡錘 と呼び、これらの部分は石灰化度が低く有機物が多い[11][23]

構成成分

重量比で96%は無機質で残りが有機質である[6]

無機質は大部分がリン酸カルシウムの結晶である[5][24]。他に、炭酸塩クエン酸塩(英語: Citrate乳酸塩のほか、フッ素ナトリウムクロムマグネシウム亜鉛スズコバルトストロンチウムマンガンアルミニウムケイ素など、約40種類の微少元素が含まれる[25][26]。微少元素の構成割合はエナメル質の深さ、加齢、地理的条件によって異なる[27]。無機質が多いため、エナメル質は硬いが脆い[28][29]。エナメル質と比較すると、象牙質は結晶化の程度が低く、硬さは低いが、脆さも低く、エナメル質を支えるのに必要であり、象牙質の支えのないエナメル質は容易に破折する[5]。無機質の割合が高いために、組織学的研究のために標本を作る場合、通常の脱灰法では融解して形を留めず[30]、光線顕微鏡の標本は通常切削標本である。

有機質について特徴的なこととして、象牙質やと異なり、エナメル質はコラーゲンを含まず、代わりにアメロゲニンエナメリンなどのエナメルタンパクが含まれていることが挙げられる。これらの蛋白質の役割は完全には判明していないが、いくつかの機能の一つとして、エナメル質形成期の構造の形成を助けるという機能があると考えられており[31]、アメロゲニン遺伝子の異常がエナメル質形成不全症を引き起こすことが分かっている[32]。他に、脂質が有機質の半分を占める[33] ほか、クエン酸・乳酸なども含まれている[33]


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