羨望
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 10:11 UTC 版)
羨望(せんぼう、英: envy ラテン語: invidia)とは、自らの持たない優れた特質、業績、財産などを他者が持つときに起こる、それらへの渇望、ないしは対象がそれらを失うことへの願望である[1]。羨望は他者が自分が持たない望ましい物品を持つときに、自己肯定感の低下という感情的な苦痛として現れる場合がある。
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- ^ 七つの大罪において、その元の言葉はいくつかの日本語に翻訳することができるが、その一例として envy が挙げられる。envy は「羨望、嫉妬、羨み、妬み」等と翻訳することができる。それらは心理学領域では嫉妬(jealousy)と羨望(envy)という近似した、しかし異なる感情として議論されることがあるが、七つの大罪における元々の言葉は envy 一つであり、そうした議論とは無縁である点に注意が必要である。
- ^ 日常生活で用いる嫉妬という日本語には2つの意味があり、「自分が愛する人の愛情が他人にむけられるとき」に生じる愛情関連の嫉妬と、「自分がほしいのに得られなかったもの持っている人をみたとき」に生じる優劣関連の嫉妬がある。( 水島広子 (2014) pp. 18, 26, 68)
英語の jealousy(嫉妬)とenvy(羨望)は欧米の心理学的議論に沿って訳し分けられたが、実際の日本語の日常生活においては、「愛情関連の嫉妬」と「優劣関連の嫉妬」として、嫉妬の一語で jealousy と envy の両方の意味を担うことができる。
- ^ Parrott, W. G.; Smith, R. H. (1993), “Distinguishing the experiences of envy and jealousy”, Journal of Personality and Social Psychology 64: 906--920, doi:10.1037/0022-3514.64.6.906, PMID 8326472
- ^ van de Ven N., Zeelenberg, M., Pieters R., "Leveling up and down: the experiences of benign and malicious envy," Department of Social Psychology, Tilburg Inst. for Behav. Econ. Res. (Tilburg Univ. 2009).
- ^ PsyBlog, "Why envy motivates us," 31 May 2011 (citing, inter alia, van de Ven).
- ^ 松木邦裕 (2002) p. 305
- ^ 岩崎徹也 (2002) p. 194
- ^ Pedrick, Victoria; Oberhelman, Steven M. (2006). The Soul of Tragedy: Essays on Athenian Drama. Chicago, IL: University of Chicago Press. p. 22. ISBN 978-0-226-65306-8
- ^ 2.7.1108b1-10
- ^ Russell, Bertrand (1930). The Conquest of Happiness. New York: H. Liverwright
- ^ Russell(1930), pp. 90–91
- ^ Yoshimura, Christina G. (2010), “The experience and communication of envy among siblings, siblings-in-law, and spouses”, Journal of Social and Personal Relationships 27: 1075--1088, doi:10.1177/0265407510382244
- ^ Fields, R (2011年). “Eat Your Guts Out: Why Envy Hurts and Why It's Good for Your Brain”. 2014年6月10日閲覧。
羨望
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 23:39 UTC 版)
「自己愛性パーソナリティ障害」の記事における「羨望」の解説
嫉妬(jealousy)と羨望(envy)は、通俗的には同じような意味を持つ言葉として用いられるが、心理学的には異なる2つの感情である。羨望は、自分以外の誰かが望ましいよいものをわがものとしていて、それを楽しんでいることに対する怒りの感情であり、二者関係に基づいている。対して嫉妬は、三者関係で自分が愛する対象が別の存在に心を寄せることを怖れ、その存在をねたみ憎む感情である。 羨望はよい対象を破壊してしまうが、嫉妬は愛する対象への愛情は存在していて、羨望の様によい対象が破壊されてしまうことはない。この点において、羨望は最も原始的で悪性の攻撃欲動であり、破壊衝動である。自己愛性パーソナリティ障害の人物は、自分がほしいのに得られなかったものを持っている人をみたとき、激しい羨望に駆り立てられ、よいものを所有していることをねたみ、憎み、批判し、破壊しようとする。羨望と万能感に結びついた激しい攻撃性は、自己愛性パーソナリティ障害の重要な性格標識の一つである。 健康な発達過程においては、羨望の破壊性が受け止められ、そこから生じる罪悪感や抑うつを十分に体験し次第に羨望の感情を統合していく。羨望と破壊衝動に結びついた万能感は次第に減少していき、それに伴い分裂排除されていた愛情と感謝への能力が解放されるようになっていく。自らの建設的な償いと、愛情への信頼感が、次第に羨望を減少させ、感謝の感情がやがて永続的なものへと変化していく。自己愛的な人物は、羨望が処理された後に発達するこうした感情が未発達な傾向がある。メラニー・クラインをはじめとするクライン学派は、羨望の精神病理と軽躁的パーソナリティを生みだす躁的防衛が、自己愛性パーソナリティ障害を構成する中核部分であることを強調した。
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羨望
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:18 UTC 版)
「Facebookへの批判」の記事における「羨望」の解説
Facebookは他人の前向きだがありえない「スポットライト」に常に晒されることにより、嫉妬心をかきたて不幸にすると批判されてきた。「スポットライト」とは前向きか—もしくは傑出した活動、体験、事実を示す、掲示板投稿、ビデオ、写真である。この影響は大部分のFacebook利用者が、生活の肯定的な面のみを見せ、否定的だが強く不平等感に結びついた生活を見せないからである。addictioninfo.org のようなサイトでは この種の羨望は、人生の他の側面に大きな影響を与え、重度のうつ病、自己嫌悪、怒りと憎しみ、恨み、劣等感や不安感、悲観、自殺傾向や欲望、社会的孤立、その他の非常に深刻な問題につながる状態を引き起こすと述べている。この状態は、しばしば、マスコミによって「Facebook羨望」や「Facebook鬱」と呼ばれている。 ドイツの2大学によるFacebook羨望の共同調査において、3人に1人がサイトを訪問した後実際に気分が悪くなり、生活への満足感が低下したことがわかった。休暇中の写真は、恨みや嫉妬の感情の最も一般的な原因であることがわかった。その次として、Facebook利用者は誕生日の挨拶の数、「いいね」数、友人のコメント数を比較するような社会的相互作用が羨望の第二の原因であった。それらが少ない訪問者になるほど、気分が悪い傾向にあった。「われわれの発見したところでは、消極的なフォロー行為が、他人の幸せ、他人が休暇を過ごす方法や他人と交わる行為を嫉妬するような不快な感情を呼び起こしがちである」とその研究で述べられている。
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「羨望」の例文・使い方・用例・文例
- 彼女は友達の羨望の的だ
- 毎日羨望と嫉妬を繰り返しています。
- 彼は友人たちの羨望の的であった。
- アンは友人みんなの羨望の的である。
- 彼女の新しいスポーツカーは皆の羨望の的だった.
- その知らせを聞いて, 彼女の心には友人の幸運に対する羨望のさざなみが立った.
- 羨望に堪えないね.
- 彼女の美しさは同僚の羨望の的だ.
- 君の成功を羨望する
- 羨望の的となる
- 彼は学校中の羨望の的となっている
- 彼は羨望の標的となっている
- 羨望の的
- 彼は成功したために仲間間の羨望の的となった
- 彼の成功をねたみ、彼の所有物を羨望する
- 女性の男性の陰茎に対する推定される羨望
- 他人が自分より良い状態にあることに対して羨望する程度
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