ダマスコのイオアン
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ダマスコの聖イオアン(676年頃 - 749年12月4日, ギリシア語: Ιωάννης Δαμασκήνος, ラテン語: Iohannes Damascenus, アラビア語: يوحنا الدمشقي, ロシア語: Иоанн Дамаскин, 英語: John of Damascus)は、キリスト教の聖人であり、ギリシャ教父の一人。ダマスコのヨハネ・ダマスコスのヨアンネスなどとも転写される。また、ヨハネス・ダマスケヌスと表記されることもある。現代ギリシャ語からはダマスコスのイオアンニスとも転写される。聖像破壊運動に反対する論陣を張った事、ギリシャ語での神学的著作、聖歌作曲などで知られる。アラブ人キリスト教徒の家庭に生まれ、母語はアラビア語[1]。
注釈
- ^ ハナアン…カナンの日本正教会における転写・表記[1]。
- ^ 新約聖書に記された、イイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語読み)の十字架刑に際して、ハリストスの右側に架けられた盗賊が天国に入れられた出来事を指す。
- ^ 処女のまま、神であり人であるイイスス・ハリストスを産んだ、生神女マリヤ(聖母マリア)を指す。
- ^ 天使で構成される軍のこと。
- ^ アミン…「アーメン」(ギリシア語: Αμήν)の現代ギリシャ語読み。詳細はアーメンを参照。
- ^ マル・サバは483年に造られた世界で最も古い修道院の一つで、カッパドキア出身の修道士、聖サバスによって創立されたと伝えられている。エルサレムの南東、約10キロメートルに位置するケデロンの谷にそびえ立っている。
出典
- 1 ダマスコのイオアンとは
- 2 ダマスコのイオアンの概要
- 3 ダマスコの聖イオアンに題材をとった音楽作品
- 4 参考文献
ダマスコのイオアン
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「キリスト教とイスラム教」の記事における「ダマスコのイオアン」の解説
746年、ダマスコのイオアン(別表記:ダマスコの聖ヨハネ)は『知識の泉』を著した。その第2部は「異教概論」と題されて、その起源について記している。この著書で聖イオアンは、クルアーンについて多くを割いて言及し、最も基本的な検査に従って生活するのは怠慢だと断じている。この著書でイスマエル(ムスリムはイシュマエルの末裔だとする主張による)だけでなく、さまざまな異教に関心を示している。『知識の泉』はいくつかのスーラを直接引用して、はっきりと不信を表明している。 その以降現在に至るまで、ムハンマドという偽預言者は彼らの中に存在し続けている。この男は、新旧の聖書にたまたま出会い、おそらくはアリウス派の修道士と語らった後に、自分自身の異教を考え出した。そして信心を装って人々の心に巧みに入り込み、天から自分に、とある本が与えられたと喧伝した。彼は自分の本にばかげた創作を書き著し、それを信仰の対象として人々に分け与えた。・・・彼が神から与えられたと自慢するこの本には、他にも多くのまったくばかげた内容がおどろくほど詰まっている。しかし我々が「神がこの本を彼に与えた場面を、誰が目撃し証言するのか? 彼のような預言者が現れると、あらかじめ預言した者はあったのか?」と尋ねると、彼らは口ごもった。対して我々は、「モーセがシナイ山上で十戒を受け取ったとき、神は雲、炎、闇、嵐をともなって人々の目前に表れたことを知っている。モーセ以来の預言者すべてがキリストの出現を予告し、キリスト神(神の子)がどのように現れ責められ死に再臨するか、どのように死者生者に審判を下すか、あらかじめ告げていることを我々は知っている。次いで我々が「あなた方の預言者はなぜ、このように証言のある状況で出現しなかったのか? あなた方が参照する本を持つこの男とあなた方の前に、神はなぜ姿を現さないのか? モーセに十戒を与えた時のように、人々が見守っていたり山が煙ったりすれば、その方があなた方も確信が持てただろうに?」と尋ねると、彼らは「神は御心のままに為される」と答えた。「それについては知っている」と我々も答えた。「知りたいのは、本がどのようにあなた方の預言者に与えられたのかだ」と言うと、彼らは「本は彼の夢の中で与えられたのだ」と答えた。
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