聖像破壊運動の余波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 03:44 UTC 版)
730年には総主教ゲルマノス1世が罷免された。また、聖像破壊運動に同意せずにイコン崇敬を続けたことで拷問を受け、のちに正教会に列聖された聖人としては、ダマスコのイオアン、克肖者表信者ヴァシリオス(ワシリイ)がいる。この問題がきっかけとなって東ローマ皇帝はローマ教皇と対立し、カトリック教会との乖離を深めてゆく。聖像破壊運動は東西教会ともに787年、第2ニカイア公会議決議により聖像擁護を認めることで決着したが、両教会の教義上の差異は後にフィリオクェ問題をきっかけとして再び顕在化することとなる。
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