1848–1899年
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「熱力学の年表」の記事における「1848–1899年」の解説
1848年 - ケルヴィン卿(ウィリアム・トムソン)が絶対零度の概念を気体から全ての物質に拡張する。 1849年 - ウィリアム・ランキンが分子渦仮説を用いて飽和蒸気圧と温度の正しい関係を計算する。 1850年 - ランキンが渦理論を用いて温度、圧力、密度と液体の蒸発の潜熱の間の正確な関係を確立する。ここで彼は飽和蒸気の見かけの比熱が負になるという驚くべき事実を正確に予測する。 1850年 - ルドルフ・クラウジウスが熱力学第一法則と第二法則をつなぐ最初の明確な説明を行う。これによりカロリック説を棄却するが、カルノーの原理は保持する。 1851年 - ケルヴィンが第二法則に別の説明を与える。 1852年 - ジュールとケルヴィンが、急速に膨張する気体の冷却を実証する。これは後にジュール・トムソン効果などと呼ばれる。 1854年 - ヘルムホルツが熱的死の考えを提唱する。 1854年 - クラウジウスがdQ/T (クラウジウスの定理)の重要性を確立する。このときはまだこの量に名前をつけていない。 1854年 - ランキンが後にエントロピーと同定される「熱力学的機能」を導入する。 1856年 - アウグスト・クローニッヒがおそらくウォーターストンの著書を読んだ後に気体運動論の説明を発表する。 1857年 - クラウジウスがOn the nature of motion called heatの中で気体運動論について現代的で説得力のある説明を行う。 1859年 - ジェームズ・マクスウェルがマクスウェル分布を発見する。 1859年 - グスタフ・キルヒホフが黒体からのエネルギー放出は温度と周波数のみの関数であることを示す。 1862年 - エントロピーの前身である「ディスグレゲーション」が1862年にクラウジウスにより物体の分子の分離度の大きさとして定義される。 1865年 - クラウジウスがエントロピーの現代的な巨視的概念を導入する。 1865年 - ヨハン・ロシュミットがマクスウェルの理論を適用し観測した気体粘度を考慮することで気体中の分子の数密度を推定する。 1867年 - マクスウェルがマクスウェルの悪魔が不可逆過程を逆転させることができるかを問う。 1870年 - ルドルフ・クラウジウスがビリアル定理を導く。 1872年 - ルートヴィッヒ・ボルツマンが、位相空間における分布関数の時間発展についてのボルツマン方程式を発表する。H定理を発表する。 1873年 - ヨハネス・ファン・デル・ワールスが状態方程式を定式化する。 1874年 - ケルヴィン卿が熱力学第二法則を形式的に表現する。 1876年 - ウィラード・ギブズが相平衡、統計集団、化学反応を引き起こすものとしての自由エネルギー、一般の化学熱力学について論じた2つの論文のうち最初の論文を発表する(2つ目は1878年に発表)[要出典]。 1876年 - ロシュミットがボルツマンのH定理は微視的可逆性と両立しないと批判する(ロシュミットのパラドックス)。 1877年 - ボルツマンがエントロピーと確率の関係について述べる。 1879年 - ヨーゼフ・シュテファンが、黒体からの電磁放射の総量が 温度の4乗に比例することを観測し、シュテファン=ボルツマンの法則を示す。 1884年 - ボルツマン がシュテファン=ボルツマンの法則を熱力学理論で解析する。 1888年 - アンリ・ルシャトリエが平衡状態にある物質系が外部の作用によって変化をうけるとき、その変化は外部の作用に反抗する結果になるような方向に起こることを述べる。(ルシャトリエの原理) 1889年 - ヴァルター・ネルンストがネルンストの式を用いて電気化学電池の電圧を化学熱力学と関連付ける。 1889年 - スヴァンテ・アレニウスが化学反応の活性化エネルギーの考えを導入し、アレニウスの式を与える。 1893年 - ヴィルヘルム・ヴィーンが 黒体の最大放射強度についてのウィーンの変位則を発見する。
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