1847年‐1852年のシリーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 15:06 UTC 版)
「イル=リソルジメント」の記事における「1847年‐1852年のシリーズ」の解説
1847年12月25日、カミッロ・カヴールとチェザーレ・バルボにより執筆された政治新聞「イル=リソルジメント」の創刊号が発行された。これは憲法の獲得を急ぐ穏健派の動きの一つで、チェザーレ・バルボは穏健派の中心人物としてすでに世間で知られており、そのため彼が発行した新聞ということで創刊当初から一定の人気を博した。内容はおおむねサルデーニャ王国の方針の支持や穏健派思想の紹介、イタリア統一や憲法の必要性を説くものであり、その後のイタリア統一運動活発化に大きな役割を果たした。 政治新聞として社会的な影響力が増していくにつれ、次第に共同編集者は増えていった。ロベルト・タパレッリ・ダゼリオ(イタリア語版)やピア・カルロ・ボッジョ(イタリア語版)、ミケランジェロ・カステッリ(イタリア語版)などがイタリア統一に貢献した主要なメンバーとして知られている。また、チェザーレ・バルボはサルデーニャ王国首相となり、カミッロ・カヴールは政界での影響力が増していく中で次第に民間的な活動であるイル=リソルジメントとの関わりが無くなっていき、代わってルイージ・カルロ・ファニーニ(イタリア語版)が当新聞を監督するようになった。 しかし1852年に一時的に廃刊される。
※この「1847年‐1852年のシリーズ」の解説は、「イル=リソルジメント」の解説の一部です。
「1847年‐1852年のシリーズ」を含む「イル=リソルジメント」の記事については、「イル=リソルジメント」の概要を参照ください。
- 1847年‐1852年のシリーズのページへのリンク