1848年、奴隷制廃止
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「ヴィクトル・シュルシェール」の記事における「1848年、奴隷制廃止」の解説
1848年の二月革命により七月王政が廃止され、1848年の臨時政府が成立した。臨時政府にはアルフォンス・ド・ラマルティーヌ外相、アドルフ・クレミュー法相、フランソワ・アラゴ海軍相ほか、ルドリュ=ロラン、ガルニエ・パジェス(フランス語版)、ルイ・ブラン、フェルディナン・フロコンらの奴隷制廃止論者が多数参加し、シュルシェールは海軍省植民地担当国務次官に任命された。彼は早速、奴隷制廃止委員会を設置し、自ら委員長として奴隷制の全面的かつ即時廃止のための法令を策定し、臨時政府により承認された。同法令は1848年4月20日に発布され、フランスにおける奴隷制は廃止された。 1848年憲法の制定とともに第二共和政が成立すると、シュルシェールはグアドループおよびマルティニークの人民代表に選ばれた。彼はマルティニークに置かれたフランス領アンティル統括政府の代表を務め、グアドループについては現地のルイジ・マチュー(フランス語版)を代理に任命した。シュルシェールは以後、グアドループおよびマルティニークの現状について『グアドループの選挙に関する新報告書』(1849年)、『マルティニークの労働者・農民にとっての真実』(1849年)、『誹謗中傷に対するフランス黒人・ムラート市民の抗議』(1851年)、『マリー=ガラント裁判』(1851年)、『死刑廃止』(1851年) を発表した。また、アメリカ合衆国で逃亡奴隷法案が可決されたことを受けて、『アメリカ合衆国の奴隷制』、『逃亡奴隷に関する1850年9月18日付法律』、『キューバの反乱とアメリカ合衆国』を著した。
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