hieroglyph
「hieroglyph」の意味・「hieroglyph」とは
「hieroglyph」は、古代エジプトで使用されていた象形文字のことを指す。文字としての機能だけでなく、神聖な象徴としての役割も果たしていた。例えば、壁画や石碑に刻まれ、神々への祈りや歴史的な出来事を記録していた。「hieroglyph」の発音・読み方
「hieroglyph」の発音は、IPA表記では /ˈhaɪrəˌɡlɪf/ となる。カタカナ表記では「ハイラグリフ」と読む。日本人が発音する際には、「ハイラグリフ」と読むことが一般的である。「hieroglyph」の定義を英語で解説
A hieroglyph is a character used in a pictorial writing system, particularly that of ancient Egypt. The sacred carvings were often used in religious and historical texts, such as prayers to the gods and records of historical events.「hieroglyph」の類語
「hieroglyph」の類語としては、「pictogram」、「glyph」、「symbol」などがある。これらはいずれも、特定の意味を持つ象徴的な記号や文字を指す言葉である。「hieroglyph」に関連する用語・表現
「hieroglyph」に関連する用語としては、「hieroglyphics」、「hieroglyphic writing」、「Egyptology」などがある。「hieroglyphics」は、古代エジプトの象形文字体系を指す言葉で、「hieroglyphic writing」はその書き方を指す。「Egyptology」は、古代エジプト文明を研究する学問分野を指す。「hieroglyph」の例文
1. The hieroglyphs on the ancient Egyptian monuments are fascinating.(古代エジプトの遺跡に刻まれた象形文字は魅力的である)2. The archaeologist is deciphering the hieroglyphs.(考古学者が象形文字を解読している)
3. The hieroglyphs provide insight into the culture of ancient Egypt.(象形文字は古代エジプトの文化についての洞察を提供する)
4. The hieroglyphs were used to record historical events.(象形文字は歴史的な出来事を記録するために使用された)
5. The hieroglyphs were often used in religious texts.(象形文字はしばしば宗教的なテキストで使用された)
6. The hieroglyphs were carved into the stone.(象形文字は石に刻まれた)
7. The hieroglyphs were painted on the walls of the tombs.(象形文字は墓の壁に描かれた)
8. The hieroglyphs represent a complex system of writing.(象形文字は複雑な書記体系を表している)
9. The hieroglyphs are difficult to decipher without proper training.(適切な訓練なしには象形文字を解読するのは難しい)
10. The hieroglyphs are a significant part of ancient Egyptian culture.(象形文字は古代エジプト文化の重要な部分である)
ヒエログリフ【hieroglyph】
ヒエログリフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/07 03:21 UTC 版)
ヒエログリフ(英: Hieroglyph、聖刻文字、神聖文字とも)は、ヒエラティック、デモティックと並んで古代エジプトで使われた3種のエジプト文字のうちの1つ。エジプトの遺跡に多く記されており、紀元後4世紀頃までは読み手がいたと考えられているが、その後読み方は忘れ去られてしまった。しかし、19世紀、フランスのシャンポリオンのロゼッタ・ストーン解読以降、読むことが可能になった。
注釈
出典
- 1 ヒエログリフとは
- 2 ヒエログリフの概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
ヒエログリフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 22:10 UTC 版)
「ロゼッタ・ストーン」の記事における「ヒエログリフ」の解説
オーケルブラドがトマス・ヤングを自分の後継者と名指したように、ド・サシも次第に研究から離れていくが、彼はロゼッタ・ストーンの解読にもう1つ貢献をすることになる。1811年に漢字について中国人の学生と交わした議論に刺激をうけたド・サシは、ゲオルグ・ツォエガが1797年に提出した仮説に向かい合った。古代エジプトのヒエログリフによる碑文には外国人の名前は発音通りに書かれているのではないかというものである。かさねてド・サシは思い返したのは、1761年にジャン=ジャック・バルテルミが提議した、ヒエログリフの碑文中でカルトゥーシュで囲まれている文字列は固有名ではないか、という説である。トマス・ヤングが1814年にロゼッタ・ストーンのことを手紙に書くと、ド・サシはヒエログリフの文章を読んでみるようにと返事を送っている。そしてヤングに、ギリシア人の名前を囲んでいるだろうカルトゥーシュを探し、そこで表音文字の特定に挑むように勧めている。 ヤングはそれらを実際に試してみた。そして得られた2つの成果はどちらもロゼッタ・ストーンの最終的な解読への道を道らしくするものであった。ついにヤングはヒエログリフの文章に音標文字の「p t o l m e s」(今日の転写では「p t w l m y s」)を発見する。それはギリシア人の名前である「プトレマイオス」を書き取るために使われていた。そしてもうひとつ、これらの文字はデモティックの体系における等価物と似ていることにもヤングは気づいていた。続けて碑文のヒエログリフとデモティックの文章のあいだに80もの類似点が見つけだされ、2つの文字はまったく別個のものだと考えるかつての認識を覆す重要な発見につながった。こうしてデモティックは部分的にのみ表音文字であり、ヒエログリフに似た表意文字も含まれているという推論にヤングはたどりつく[I]。そしてその推論は正しいものだった。彼が1819年に「ブリタニカ百科事典」に寄稿した長大な「エジプト」の項目に載ったこの新たな洞察は、実際ほぼ完璧なものだった。しかし言い換えれば、ヤングはそこから先には進むことはできなかった[J]。言語学の専門的な知識を持たなかったヤングには体系が欠けていたという言い方もできる。 1814年にヤングははじめてジャン=フランソワ・シャンポリオンとロゼッタ・ストーンをテーマに文通を交わす。シャンポリオンは当時グルノーブル大学の教授であり、学術的に古代エジプトの研究を行っていた。1822年にヒエログリフとギリシア語で書かれた短い碑文の写しをシャンポリオンは手にする。そのフィラエの神殿でみつかったオベリスクに刻まれた文章の写しにはウィリアム・ジョン・バンクスがためらいがちに「プトレマイオス」と「クレオパトラ」という名前がどちらの言語にもあった、と記していた。シャンポリオンはこれを読み、k l e o p a t r a という表音文字を識別した(今日の転写ではq l ī w p ꜣ d r ꜣ.t)。この発見と、ロゼッタ・ストーンに刻まれた外国人の名前に関する仮説をもとに、ヒエログリフの表音文字の字母が構造立てられるまで時間はかからなかった。それは彼の手書きの図表からも明らかにみてとれる。この表はパリの碑文-文芸アカデミーの学長であったボン゠ジョゼフ・ダシエ(英語版)に宛てて1822年に書かれた手紙「ダシエ氏への手紙 Lettre à M. Dacier」に同封され、すぐさまアカデミーによって出版された。この「手紙」に書かれた字母の図表や本文だけでなく、シャンポリオンがつけた補遺こそがエジプトのヒエログリフ読解の歴史における突破口となった。ギリシア人の名前だけでなく、現地のエジプト人の名前にも類似した表音文字が現れるように思われる、と手紙には付け加えられていた。続く1年間で、シャンポリオンはこの考えが正しいことを確信した。ジャン・ニコラ・ユイヨに送ってもらった、アブシンベル神殿でバンクスが写しとったはるか古代のヒエログリフの碑文に、カルトゥーシュで囲まれた「ラムセス」、「トトメス」というファラオの名前を特定したのである[M]。このとき、ロゼッタ・ストーンとエジプトのヒエログリフの物語は歴史の分岐点を迎えた。シャンポリオンは初めて古代エジプトの文法を本にまとめたり、ヒエログリフの辞書を作るなど多くの仕事をなし、どちらも彼の死後に出版された。
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ヒエログリフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 02:46 UTC 版)
表面のヒエログリフは風化が激しく、読み取りが困難な状態である。セントラルパークに立てられた頃の写真ではヒエログリフがはっきり読み取れ、その内容を翻訳した資料がある。エジプトでは約3000年のあいだ乾燥した砂漠に立っていたが、ほとんど風化しなかった。しかし、ニューヨークの気候に1世紀ほど曝されたために、大気汚染や酸性雨の影響で表面がぼろぼろになってしまった。そのためにエジプト考古学の権威ザヒ・ハワスは2010年、セントラルパークの管理責任者とニューヨーク市長宛てに保存する努力の強化を求める公開書簡を送った。その中でハワスは、彼らがオベリスクを適切に扱わなければ、それを元の場所に戻して荒廃から救うための適切な処置をとるとしている。
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