頂相
頂相
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「無学祖元坐像」 (重要文化財) 神奈川・円覚寺 木像 彩色 玉眼 円覚寺舎利殿の背後に接して建つ開山堂に安置。弘安9年(1286年)の示寂直後に作られたとみられる。眼差しは鋭いながら口元は優しく、顔は生気に満ち、前かがみの姿勢は今にもこちらに語りかけそうな迫真性をもつ。多くの優れた鎌倉時代肖像彫刻の中でも、傑作中の傑作と評される。 「無学祖元像」 (重要文化財) 神奈川・円覚寺 絹本著色 弘安7年(1284年) 「無学祖元像」 京都・慈照寺 春屋妙葩賛 南北朝時代
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頂相
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頂相は禅宗の僧の肖像画で、多くの場合、師僧から弟子へ付法の証として与えたものである。宋代画像の影響を受け、似絵とは異なる筆致ながら、個性をよくとらえて写実を尊ぶ画風がうかがわれ、やはり名品が多い。 蘭渓道隆像 鎌倉建長寺蔵。曲彔(きょくろく)と呼ばれる椅子に座った南宋からの渡来僧蘭渓道隆の全身を描いた頂相の代表作。頂相上部に1271年(文永8年)の自賛があり、蘭渓が「朗然居士」なる人物にあたえた絵であることが知られる。絹本淡彩。国宝に指定されている。
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頂相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 16:21 UTC 版)
蘭渓道隆の頂相は、当時の史料から多数制作されたことが確認できる。代表的な肖像画は当項目冒頭の「蘭渓道隆像」(絹本著色、建長寺蔵、国宝)で、上段に記された蘭渓道隆の自賛により、文永8年(1271年)朗然居士(北条時宗の居士名か?)のために描かれたと分かる。像の黒目の周りを金泥で縁取っており、これは他の頂相・肖像画には見られない手法である。建長寺には他に、「蘭渓道隆経行図」(重文)や、蘭渓道隆の孫弟子にあたる太虚元寿(約翁徳倹の弟子)が嘉暦4年(1329年)に霊石如芝より賛を書いてもらった「蘭渓道隆像」(重文、絹本著色)がある。 肖像彫刻としては建長寺西来庵開山堂所在の「蘭渓道隆坐像」(木像漆塗玉眼、13世紀、重文)が代表作で、示寂の前後に制作されたと推定される。瞳は玉眼ではなく、瞳だけを水晶として上から貼り付け、瞳の中心の黒の周囲に放射線上に金泥線を引いており、これも他に例がない。自賛像とも共通するこうした目への拘りは、雲水たちを厳しく見つける蘭渓道隆の眼光表現だと考えられる。建仁寺西来院にある「蘭渓道隆坐像」は延宝4年(1676年)仏師・康乗作だが、像の中には古い頭部像が入っており、こちらは写実的な面貌表現から蘭渓示寂前後の作だと見なせる。 現存する蘭渓道隆の肖像画としては、西来院「大覚禅師像」、福岡県・勝福寺「大覚禅師像」(重文)、滋賀県・永源寺の「蘭渓道隆像」(南北朝時代か、蘭渓・約翁・寂室の3幅対)、宮城県・瑞巌寺(蘭渓・性西法身・明極聰愚の3幅対、宮城県指定文化財)、静岡県・修禅寺などがある。彫刻は、鎌倉・常楽寺の「蘭渓道隆像」、長野県・西岸寺の「大覚禅師椅像」(鎌倉後期から南北朝時代か)などがある。
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