鎌倉後期(1267-1333)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)
「鎌倉文化」の記事における「鎌倉後期(1267-1333)」の解説
慶派の彫刻も後期にはいると、形式的表現が多くなり、過剰な説明や概念的誇張が顕著になって彫刻としての魅力が減退するが、そのなかで湛慶の後継者である康円は運慶直系の奈良仏師としての正統を伝える。なお、系譜関係が不明ながら1280年(弘安3年)の長谷寺本尊の再興に関係したとされる湛康や慶秀を康円以後の慶派正系にあてる見解がある。湛康の作品は九州地方に多く遺存し、そのことから慶派の活動範囲はいったん奈良に戻り、さらに、そこから地方へ波及したという動向がみてとれる。
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