鎌倉府再興とは? わかりやすく解説

鎌倉府再興(第5代鎌倉公方)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 23:15 UTC 版)

足利成氏」の記事における「鎌倉府再興(第5代鎌倉公方)」の解説

永享の乱の際に鎌倉府滅亡したが、嘉吉元年将軍足利義教暗殺された(嘉吉の乱)後、鎌倉府再興の運動開始された。越後守の上房朝や関東諸士から室町幕府へ働きかけ(『鎌倉大草紙』)、あるいは上杉氏一門家老から幕府への働きかけ(『永享記』)、幕府管領畠山持国支持などの結果文安6年(または宝徳元年)に鎌倉府再興が承認される。持氏の遺児の成氏は信濃大井持光(または京都土岐持益)の元から、新たな鎌倉公方として鎌倉帰還した。まだ年若い成氏は、鎌倉府再興のために運動した持氏旧臣や持氏方諸豪族、及び結果的には持氏を殺した上杉氏など、利害相反する人々の間に置かれることになった新し鎌倉府では、鎌倉公方に成氏、その補佐役の関東管領山内上杉家の上憲忠(上杉憲実嫡男)が就任した

※この「鎌倉府再興(第5代鎌倉公方)」の解説は、「足利成氏」の解説の一部です。
「鎌倉府再興(第5代鎌倉公方)」を含む「足利成氏」の記事については、「足利成氏」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「鎌倉府再興」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鎌倉府再興」の関連用語

鎌倉府再興のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鎌倉府再興のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの足利成氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS