蘭渓道隆
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蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)は、鎌倉時代中期の南宋から渡来した禅僧。諡は大覚禅師。俗姓は冉、名は莒章。法諱は道隆。号は蘭渓。涪州涪陵県蘭渓邑(現在の重慶市涪陵区藺市鎮)の出身。大覚派の祖。無明慧性の法嗣、建長寺の開山。
注釈
出典
- ^ a b 村井(2004)pp.67-89
- ^ 村井(2004)p.74
- ^ 村井(2004)p.79
- ^ 『建長寺創建750年記念 鎌倉 禅の起源』展図録 36,196,221頁、東京国立博物館、2003年。
- ^ 浅見龍介 「蘭渓道隆の頂相 ―建仁寺西来院調査報告を中心に」(村井章介編 『東アジアのなかの建長寺-宗教・政治・文化が交叉する禅の聖地』 勉誠出版、2014年11月18日、pp.180-185、ISBN 978-4-585-22101-2)。
- ^ 指定文化財|県指定有形文化財|性西法身像 蘭渓道隆像 明極聰愚像 - 宮城県公式ウェブサイト。
- ^ a b c d 中田勇次郎「日本7 鎌倉II」(『書道全集 第19巻』平凡社、新版1971年(初版1966年)pp..153-154
- ^ 中西慶爾編『中国書道辞典』(木耳社、初版1981年)
- ^ a b c d 新川晴風 飯島春敬編『書道辞典』(東京堂出版、初版1975年)
- ^ 峯岸佳葉「墨跡について」(角井博監修『決定版 中国書道史』芸術新聞社、初版2009年)ISBN 978-4-87586-165-2
大覚禅師
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蘭渓道隆。仏教を学びにインドに来て、ある機縁から奴隷となっていたアンリを自由の身にする。アンリはその恩返しとして禅師に生涯仕えることに決め、禅師の故国に従い、日本にも伴っていく。
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