大覚寺義昭事件とは? わかりやすく解説

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大覚寺義昭事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 06:18 UTC 版)

串間市」の記事における「大覚寺義昭事件」の解説

室町幕府3代将軍足利義満の子義昭ぎしょう)が現在の串間市北方にある永徳寺にて自刃した事件室町最後将軍である足利義昭とは別人であり、区別するために「大覚寺義昭」とも呼ばれる室町6代将軍足利義教とは兄弟関係であるが、義昭義教謀反疑いかけられ京から逃れた各地転々とした後、日向国櫛間(今の串間)を治め野辺氏頼って永徳寺身を潜める居場所突き止められ嘉吉元年1441年3月13日義昭永徳寺にて自刃した。永徳寺敷地内には義昭の墓といわれる五輪塔建てられている。

※この「大覚寺義昭事件」の解説は、「串間市」の解説の一部です。
「大覚寺義昭事件」を含む「串間市」の記事については、「串間市」の概要を参照ください。

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Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの串間市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

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