米軍による大虐殺とは? わかりやすく解説

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米軍による大虐殺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 07:01 UTC 版)

サンドクリークの虐殺」の記事における「米軍による大虐殺」の解説

11月29日の寒い早朝に、チヴィントン大佐率い800人の陸軍騎兵部隊が、ブラックケトル達の和平派シャイアン族・アラパホー族の約100張りティーピー野営近付いた。サンドクリークには氷が張り一面覆われていた。野営では女たち働き始めていた。騎兵部隊一時休止し「敵」の数を数え始めた野営にいるのは女がほとんどだった。男たちバッファロー狩りに出かけていて留守だった。シャイアン族白人混血のロバート・ベント(ウィリアム・ベント息子)は、無理やり案内役命じられ米軍同行していたが、「このとき野営には600人のインディアンがおり、男はほんの35人の戦士老人合わせて60かいなかった」と後に報告している。 このバンド男達は、「敵対的ではない」と示すために、自主的に武装解除していた。彼らはリヨン砦で、砦の指揮官狩猟用の武器以外を提出していた。しかし、チヴィントンは彼の軍隊に、シャイアン族野営への一斉射撃命じた。ジョージ・ベントは、後にこう証言している。 チヴィントンと彼の5つ大隊がその朝、シャイアン族にやって来たので、野営訪問していた2人白人は、焼いたバッファローの皮を棒に結んで、これが和平派であることを軍隊知らせるため、それを振りまわした。しかし彼らは、一斉射撃浴びせられた。そこで、年とったブラック・ケトル酋長は、白旗ティーピー結んだ。そして、その上に、彼はBIAインディアン管理局局長からもらった星条旗結んだ。彼は、彼の家族集めた。彼はそこが敵対的なインディアン野営ではないことを米兵に分からせようと努力して、彼は再び白旗持った。彼は「おびえていない」ことを示すために、彼の同胞大きな声を挙げ続けていた。私は思い返していた。「この野営米軍保護下にあり、ここにいることは危険ではなかったはずだ。」 ブラックケトル自分ティーピー星条旗掲げ、その下に白旗掲げた。しかし米兵は突然、インディアンたちの馬を蹴散らし発砲したブラックケトルインディアン戦士白人の間で小競り合いがあったので、見せしめこのような示威行為出ているものと思い部族民に平静にするよう呼びかけた。しかし、米軍川向こうから大砲を、彼らの野営向けて撃ち始めたのである。 チヴィントンはこの無差別虐殺命令として、兵士たちにこう叫んだ上述たように、この台詞彼の軍隊フレーズだった。 殺せ! どいつもこいつも頭の皮を剥げ大きいのも小さいのもだ。シラミ幼虫シラミになるからな! 騎兵歩兵がこのシャイアン族とアラパホー族の野営突入し、男も女も子供問わず無差別銃撃浴びせた人々散りぢりになり、走り始めた。チヴィントンは大砲を、最初にインディアンうろたえて右往左往している集団向けて発射すよう命令した。ホワイトアンテロープ酋長は英語で「やめろ! やめろ!」と叫んだが、意味がないことを悟り腕組みをして矢面に立った。これを見て白人たちは彼を射殺してしまった。 女子供泣き叫びながら後の砂山の方へ逃げた丸腰戦士たち抗議しながら川上へと退却したブラックケトルはしばらくティーピーのそばにとどまったが、やがて妻を連れて退却した彼の妻は9発も撃たれたが命を取り留めた白人たちはブラックケトル仕留めた思い、そう報告したが、実際には彼は生き延びた白人による無差別銃撃は、午後になっても続けられた。シャイアン戦士たち交戦試みたと言うが、人数武装足りず戦闘呼べるものではなかった。老若男女問わない皆殺しだった。ロバート・ベントは、後にこのように報告している。 数少ない男たちは、全くの丸腰だった。女たち自分たちと子供たちを隠すために、死に物狂い土手の砂を爪で引っ掻いて穴を掘っていた。私はインディアンたちを保護しようと、そちらに近付いて行った土手陰に、5人のインディアン女たち隠れていた。軍隊が近づいてくると、彼女ら走り出て、自分たちが女であることを知らせようとしたが、兵隊たちは彼女ら撃ち殺してしまった。 3~40人の女子供が穴に隠れていたが、女たち6歳くらいの女児白旗持たせて送りだした。この女の子2、3歩足を踏み出した踏み出さないかのうちに、彼女も射殺されてしまった。穴の外に4、5人女がいて、慌てて走り出した。彼女らは全く抵抗気配見せなかった。殺されインディアンたちのすべてが、米兵によって頭の皮を剥がれていた。 一人の女は腹を斬り裂かれて、胎児引きずり出され、その胎児は脇に転がっていた。これはスーレ大尉事実であると私に証言している。私は何人か、武装した幼い子供母親一緒に射殺されるのを見た。「戦い」のすぐ後に、私は地面調べてみた。 私は、死んだインディアンの数を400500人だったと判断しなければならない。ほとんどすべて、男も女も子供たちも、頭の皮を剥がれていた。私は、不具にされた1人女性会った。どの体も恐ろしく切り裂かれており、頭蓋骨叩き割られていた。私は彼らが射殺された後、このようにされたものと判断している。指輪を取るために、指が鋸で切り取られており、また男だけでなく女も、いくつかの体が兵士によってのこぎり切断されていた。次の朝、私は男の子インディアン死体の間でまだ生きているのを見た。私は、第3連隊少佐ピストル取り出して、この男の子の頭を吹き飛ばすのを見た。私は、一部男たち指輪を奪うために死体指を切り落とし、銀の装飾品を奪うために、死体の耳を切り落しているのを見た。 私は、先ほど少佐仲間たちが、夜の間にインディアンたちの頭の皮を剥いで、埋葬され死体掘り起こして装飾品を奪うのを見た。私はインディアンの女が、殺される前に頭を打ち砕かれるのを見た次の朝、彼らが死んで固くなったあとで、この男たちインディアン女の体を引っぱり出して不作法に足を開いていた。私は男たちが「女たち女性器切り取ったが、自分では見なかった」と言っているのを聞いた。 私は、何人かの男たちが、殺したインディアン女か女性器剥ぎとったあとに棒を突っ込んだことに抗議した女・子供死体は、見るもおぞましい方法切断された。私は、わずか8人しか見ていない、それ以上はとても正視堪えなかった。彼らは、とてつもなく切り刻まれていた。...彼らは頭の皮を剥がれて、むごいやりかた...で切り裂かれていた。ホワイトアンテロープ酋長死体は、鼻、耳、男性器切り取られ転がっていた。一人兵士が、「この酋長陰嚢煙草入れ作るのだ」と言っていた。女たち女性器をえぐり取られていた。 ありとあらゆる略奪が、彼らの身体加えられた。彼らは頭の皮を剥がれた、彼らの頭は打ち砕かれていた。男たちナイフ使って女性切り開き小さな子供たちは、銃尻で頭を潰され脳味噌飛び散らせていた ...彼らの体を損壊したやりかたは、どんな言葉でも言い尽せない。それはこれまで見たともないのだった。女は全員バラバラ切断されていた... まだ生まれて2、3ヵ月乳飲み子から戦士まで、すべての世代がそこに転がっていた。 兵士たち指輪を奪うために指を切断し、子どもも合わせた男性陰嚢は「小物入れにするため」切り取られた。男性器合わせ女性女性器も「記念品として」切り取られ騎兵隊員たちはそれを帽子の上乗せて意気揚々とデンバー戻った。私は1人兵士インディアンの女の女性器抜き取り見せるためにそれを棒に張り付けていたと言っているのを聞いた。私はまた、兵士たち女たち女性器切り出して鞍頭に張り付けたりなかには帽子張り付けたりする者もいたという数多く事例聞いた

※この「米軍による大虐殺」の解説は、「サンドクリークの虐殺」の解説の一部です。
「米軍による大虐殺」を含む「サンドクリークの虐殺」の記事については、「サンドクリークの虐殺」の概要を参照ください。

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