こ‐ぜりあい〔‐ぜりあひ〕【小競(り)合い】
小競り合い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/13 02:35 UTC 版)
「ローンジャックの戦い」の記事における「小競り合い」の解説
1862年8月15日、北軍のエモリー・S・フォスター少佐がトッテンからの命令を受けて、レキシントンから740名の混成部隊を率いてローンジャックに進んだ。その他にもカンザス州からジェイムズ・G・ブラント将軍の2,500名と、ミズーリ州内からフィッツ・ヘンリー・ウォーレン将軍の600名が派遣されたが、これらはこの戦闘までには到着できていなかった。フォスターはローンジャック地域に到着するとコフィ大佐とトレーシー中佐の指揮する南軍1,600名が町の近くに宿営し、攻撃の準備をしているという情報を得た。南軍の勢力は800名に過ぎないという推計が入り、フォスターとその部隊は午後11時ころに南軍宿営地を攻撃し、敵部隊を蹴散らした。この短時間の小競り合いの間にフォスターが大砲を発砲させたことは墓穴を掘る結果になった。それが地域にいたバード・コックレル大佐など南軍指揮官達に警告を与えることになり、フォスター軍の位置と闘う意思があることを知らせた。フォスター隊は町に戻って、メインストリート沿いで休憩した。この部隊は馬の鞍に揺られて数日間移動してきていた。コックレル大佐はアプトン・ヘイズ、シドニー・D・ジャックマン中佐、デウィット・C・ハンターと会合し、翌朝、かなり小さいと見られる北軍部隊に戦闘を仕掛けてこれを圧倒することに決めた。
※この「小競り合い」の解説は、「ローンジャックの戦い」の解説の一部です。
「小競り合い」を含む「ローンジャックの戦い」の記事については、「ローンジャックの戦い」の概要を参照ください。
「小競り合い」の例文・使い方・用例・文例
小競り合いと同じ種類の言葉
- 小競り合いのページへのリンク