米軍による襲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 18:19 UTC 版)
「ブラックヒルズ戦争」の記事における「米軍による襲撃」の解説
「スー族の代表者」(そんなものは存在しない)が合衆国の最後通牒を無視したため、米軍はスー族の絶滅作戦を開始した。スー族ら平原のインディアン部族は、バッファローの群れを追って、大平原を始終移動しており、大部隊を率いて敵対部族を特定追跡するのは米軍にとって大変な手間だった。 テリー将軍が留まっている間に、クルック将軍はジョセフ・J・レイノルズ大佐に6個騎兵中隊を与えて遠征派遣し、約65のティーピーから成るスー族の集落を突き止めて、3月17日の朝に攻撃した。これが白人が「ブラックヒルズ戦争」と呼んでいるインディアン絶滅作戦の始まりとなった。レイノルズの部隊は集落を占領して焼き払ったが、直ぐにスー族の反撃に遭って撤退した。兵士数人が戦場に残されたため、レイノルズ大佐はのちに軍法会議に掛けられた。このとき押収したポニーの群れは、翌日にインディアン達によって奪還された。当時陸軍はクレイジー・ホースを攻撃したと思っていたが、後の情報で、シャイアン族とオグララ・スー族の集落であることが分かった。 1876年晩春、米軍は再びインディアンに攻撃をかけた。エイブラハム・リンカーン砦からテリー将軍自らが指揮する15個中隊、すなわちカスターと第7騎兵隊の12個中隊全てを含む約570名のダコタ部隊が進軍した。ギボン大佐が指揮するモンタナ部隊はエリス砦を進発した。最終的にクルック将軍が指揮する第3の部隊がフェッターマン砦を出て北に向かった。これら3部隊の「夏の遠征」の意図は、スー族の狩猟場を包囲して、スー族を挟み撃ちにすることだった。
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