第二次編成とは? わかりやすく解説

第二次編成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/01 19:29 UTC 版)

第17師団 (日本軍)」の記事における「第二次編成」の解説

日中戦争が起こると1925年大正14年)に廃止され師団番号利用し復活した。これを第二次編成と呼ぶ。 第26師団引き続き1938年昭和13年4月に、第15・第17・第21・第22・第23の5個師団編成された。これら5コは、前線戦闘師団を対ソ戦闘専念させ後方任務分離する目的新設であり、編制装備は次等とされ警備師団呼ばれた師団新設には帝国議会承認を必要としたが、国防機密明白にすることになるので、次局対応で議会報告無し編成してしまい処理に困っていたとこ図らずも支那事変勃発し臨時軍事費計上されたので、堂々と師団新設報告する事ができた。新設師団駐兵権保有地域への配備目的としたが、内地常設師団補充担任した。 第17師団留守第10師団編成担任であった。第17師団番号は、従来第10師団姫路)の特設師団番号計画されていた。上記のように5コ師団新設実行され当初は、第21、第22、第23、第24、第25師団番号予定されたが、軍備増強計画更新により更に師団増を予定し、それら新設師団番号空けるため、第24第25師団師団番号が前詰めされ、軍縮廃止師団永久的常設師団として第15師団とともに第17師団編成された。これにより第10師団特設師団番号は第110師団変更された。(この時すでに第13師団第18師団特設師団として1年前に出征していた) この新編成5コ警備師団関東軍配備される前に実戦訓練為に、まず中国戦線への投入が行われる事になった満州西部ハイラル駐屯していた騎兵集団中国戦線転用される事が決定した為、第23師団だけ直接満州へ派遣された。実戦訓練為に中国戦線への投入され第17師団含むの4コ師団は、中国戦線広がり続けたため抜けられなくなり、ついに本来の編成目的である満洲に行くことは無かった師団中国大陸渡り中支那派遣軍戦闘序列編入一部部隊武漢作戦参戦するその後師団占領地警備治安作戦従事した師団捜索隊1940年7月復帰所属した装甲車中隊歩兵装甲車中隊となり、所属騎兵は各歩兵連隊に1コ小隊ずつ分属された。これは急激な部隊増で乗馬補充困難となり全軍乗馬定数減の必要が生じ一部を除く在支師団乗馬数減の編成改正が行われた。軍備増強優先順位一位満洲関東軍であり、反対に国力断発力回復官民工業力向上のため在支部隊は毎年10万人の削減参謀総長陸軍大臣求められており、その一部として処理された。 太平洋戦争開戦後中国駐屯した。1943年昭和18年9月南方転用され、ニューブリテン島渡った。第17歩兵団司令部歩兵第81連隊など隷下部隊の約1/3はブーゲンビル島分遣され1944年昭和19年7月独立混成第38旅団改編されて師団から除かれた。第8方面軍隷下移った師団ニューブリテン島中心地ラバウルツルブにて連合軍の攻撃に耐えてニューブリテン島の戦いを展開、1945年昭和20年8月終戦迎えた持久戦の間に2個混成連隊師団捜索隊2代目。第51師団捜索51連隊残存人員編成)が新たに合された。

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第二次編成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 01:51 UTC 版)

独立混成第1旅団」の記事における「第二次編成」の解説

第二次編成の独立混成第1旅団は、復員した第109師団残置要員基幹に、1939年昭和14年7月22日華北編成された。北支那方面軍直属部隊として河北方面警備治安維持担当邯鄲終戦迎えた

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第二次編成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 02:20 UTC 版)

独立混成第11旅団」の記事における「第二次編成」の解説

第二次編成の独立混成第11旅団は、1939年昭和14年1月14日浙江省嘉興編成され1942年昭和17年2月2日に第60師団改編された。

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第二次編成

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第109師団 (日本軍)」の記事における「第二次編成」の解説

硫黄島の戦い#小笠原兵団の編成と編制」も参照 1944年昭和19年5月父島要塞守備隊基幹再編成され大本営直属小笠原兵団兵団長:栗林忠道第109師団長兼務)の隷下入った混成第1旅団父島に、独立第2旅団硫黄島に、混成第1連隊母島配備しアメリカ軍からの侵攻備えた1945年昭和20年2月16日からの硫黄島の戦いにおいて、栗林師団長のもと激戦続けたが、同年3月26日硫黄島守備隊全滅玉砕)した。その後父島混成第1旅団をもって第109師団再編しアメリカ軍空襲を受けながら終戦まで守備行った

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第二次編成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 07:28 UTC 版)

第13師団 (日本軍)」の記事における「第二次編成」の解説

日中戦争勃発する日本本土から次々と師団中国大陸派遣され同時に従来常設師団から新たに特設師団編成された。第13師団も、1937年昭和12年9月10日留守第2師団担当復活し上海派遣軍司令官松井石根大将要請により、第9師団および第101師団とともに第二次上海事変増援軍として上海戦線に赴いた上海戦の後は南京攻略戦投入1938年昭和13年2月14日には新設され中支那派遣軍戦闘序列編入され徐州会戦戦い7月4日には第2軍編入武漢作戦参戦したその後11月9日第11軍編入され中国戦線でのさまざまな作戦参戦した太平洋戦争開戦後第11軍隷下華中在り1944年昭和19年)には大陸打通作戦第二段湘桂作戦参加して広西省進攻9月11日全県攻略し11月1日には桂林第2・第3飛行場占領一時貴州省まで進出し12月2日には独山を占領した作戦終了後第11軍司令部置かれ柳州西側の宜山方面の警備担当した。なお南側南寧方面第3師団北東側桂林方面は第58師団担当した1945年昭和20年)になると戦局変化から広西省方面日本軍撤退開始4月18日第3師団とともに支那派遣軍直轄師団となり、南京方面向けて移動中湖南省長沙終戦迎えた師団当初歩兵第65連隊歩兵第104連隊歩兵第58連隊歩兵第116連隊隷下に持つ四単位師団として編成されたが、1942年昭和17年12月には、歩兵第58連隊第31師団転用し、三単位編制改編された。

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第二次編成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 10:20 UTC 版)

第114師団 (日本軍)」の記事における「第二次編成」の解説

太平洋戦争大東亜戦争末期になると、華北駐屯していた第26師団フィリピン戦線に、第62師団沖縄転用されたため、中国に在った独立歩兵旅団独立混成旅団)を改編し、占領地警備治安維持目的編成した治安師団一つであり、同時に115師団・第117師団・第118師団新設された。これら4個師団は、1944年昭和19年7月10日軍令甲第79号下令により、編成発令された。 第114師団は、華北山西省臨汾運城において独立歩兵第3旅団復帰人員と第69師団からの転属者などを基幹山西省臨汾再編成された。編成後第1軍編入され、第69師団より臨汾周辺警備引き継いで山西省治安粛正の各討伐作戦従事した師団の編制は、4個独立歩兵大隊から成る歩兵旅団を2個持ち砲兵欠いた師団として誕生した。後に師団砲兵隊所属した1945年昭和20年8月9日ソ連対日参戦に際して平津地区転進下令され、移動準備中終戦迎えた同地終戦迎えた一部将兵残留し閻錫山指揮下国内戦のなか中共軍戦った

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第二次編成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 16:56 UTC 版)

第108師団 (日本軍)」の記事における「第二次編成」の解説

1944年昭和19年7月満州の第9独立守備隊基幹再編成され関東防衛軍隷下入り満州中国境界線付近警備等を担当した1945年昭和20年7月第3方面軍直轄となり、翌月ソ連軍侵攻備えたが、本格的な戦闘となる前に終戦迎えた

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