犯行の準備
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犯行の準備
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「京都・大阪連続強盗殺人事件」の記事における「犯行の準備」の解説
加古川刑務所を出所した廣田は、家族とともに滋賀県大津市内のホテルで一泊し、翌日(8月31日)に日本国有鉄道(国鉄)の京都駅で、妻から仮出獄前に用意させていた現金20万円を受け取り、実母とともに新幹線で東京に向かった。同日午後、千葉保護観察所に出頭した廣田は、担当の保護観察官と面接したが、仮釈放中の注意事項を話された際には素直に聞いており、今後の生活方針については「就職先が決まるまで、しばらく母親の農業を手伝いたい」「実家で農業の手伝いをしながら仕事を見つけ、京都市に住む妻子を呼びたい」などと話していた。同日16時ごろ、廣田は帰住先である実母宅(成東町)に赴いた。同日夜、成東町の保護司が廣田の実家を訪れた際、廣田は久しぶりに再会した母親と歓談していた。 同年9月2日夜、廣田は母に対し、「明日東京へ仕事を探しに行く」と言い、3日4時40分過ぎごろに家を出て、5時18分発の成東駅(総武本線)の始発電車に乗って千葉駅へ向かった。しかし本当の行き先は東京ではなく京都で、東京駅から新幹線に乗り、10時前後に京都駅に到着した。当時、廣田は強盗でまとまった金を得ようと考えていたため、そのための凶器として、京都市上京区の千本通沿いで買い物をした。10時30分ごろ、廣田は(後に京都事件で凶器として用いた)ステンレス製の包丁1本を千本通沿いの金物店で、ボウガン(全長約79 cm)1丁とその矢(長さ約36 cm)6本・射撃用革手袋一双・サングラス1個を、それぞれ金物店近くの銃砲火薬店で購入し、観光者用の手提げ袋に入れている。代金は合計8万円で、うちボウガンと矢6本が5万5,000円だった。この銃砲火薬店の店員によれば、この時に廣田が所持していた手提げ袋は、「旅行者が持つようなベージュっぽい色の編み込んだようなビニールでできた袋」(縦約70 cm×横約50 - 60 cm)で、金閣寺か銀閣寺のような寺と五重塔のような図柄が黒で描かれ、ローマ字で「KYOTO」と書かれていた。その後、ボウガンが長くて目立つため、銃床部分と先台部分を切り離そうと考え、前述の金物店で折りたたみ式のこぎり1本を追加で購入したほか、11時30分過ぎごろには銃砲火薬店でボウガンの撃ち方などの説明を受けた後、偽名を用いてボウガンなどの入った手提げ袋を預け、18時ごろ以降に受け取りに戻った。その後、ボウガン本体をのこぎりで銃床部分と先台部分とに切り離したが、結局は凶器として使うことは断念し、それぞれ別々の場所に捨てた。 その後、廣田は拳銃を奪うため、以下のように「放置バイクがある」と虚偽の申告をして警察官をおびき出そうとしたが、いずれも失敗に終わった。 亀山公園(京都市右京区)付近に行き、18時50分ごろ、近くの公衆電話から太秦警察署(現:右京警察署)へ電話をかけ、嵐山派出所へつないでもらうと、応対した派出所の警察官に「亀山公園に放置バイクがある。昨日から言っているのに何で見に来んのや。中央広場の看板がある所や。俺が見てたるさかい来いよ」などと言った。そして、同公園南側入口付近で警察官を待ち伏せたが、出会うことはできず、19時50分ごろ、公園東方の渡月橋北詰からタクシーに乗車し、千本北大路交差点付近(京都市北区:座標)で下車した。 20時30分ごろ、千本北大路交差点付近にある北区衣笠北荒見町15番地の紙屋児童公園(座標)付近にあった公衆電話から、西陣署に電話して十二坊派出所につないでもらい、応対した警察官に対し「児童公園の前の大槻だが、公園の前に長い間バイクが放置してある。前から言ってある。早く来てほしい」などと言い、公園で警察官を待ち伏せた。しかし、21時ごろに警察官が公園に赴く前に廣田はその場を離れてしまった。 このため、いったんは警察官をおびき出すことを諦めたが、下殿田派出所に勤務していた1967年(昭和42年) - 1968年(昭和43年)ごろ、職務上何度も出入りしていた南区内の質屋の経営者が老夫婦だったことを知っていたことから、その夫婦を包丁で脅すなどして金品を奪おうと決意し、警察官を装って同店に電話を掛けた。そして、22時 - 22時20分ごろにかけ、「職務質問を受けている男が持っている腕時計などをそちらの店で買ったと言っているので、確認のために派出所まで来てほしい」などと嘘を言い、夫婦を店外に出てこさせようとしたが、相手が容易に応じようとしなかったため、失敗した。廣田は23時30分ごろ、京都駅八条口近くのラーメン店でラーメンを食べ、翌4日1時40分、京都駅八条口からタクシーに乗車したが、この時には先端30 - 40 cmを新聞紙で覆った細長い棒状のもの(長さ約1.4 m×直径約2.5 cm)を持っていた。廣田は1時50分、「京都スポーツサウナ」(東山区三条大橋東方)に入店し、同店で宿泊した。滞在中、廣田はロッカールームで服を着替えたり、店内でラーメンを食べたりしてから仮眠室に入ったが、従業員によれば寝入ることはなく、じっと考え込んでいる様子だった。廣田は7時40分にサウナを退店したが、その際には下着としてランニングシャツを着用し、先述の棒状のものを持っており、タクシーに乗車して現場に向かっている。その後、廣田は京都事件の約3時間前(10時ごろ)に今出川通千本東入ルの「ジャスコ」に立ち寄り、衣類やバッグなどを品定めしたが、この時点では先述の棒は持っていなかった。
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