保護観察所
保護観察所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 23:54 UTC 版)
1936年11月、保護観察所が東京・大阪をはじめとして全国22か所に設置された。このうち、東京保護観察所は管内(東京・埼玉・千葉・山梨)だけで全国の「保護観察」対象者の約3分の1を占めており、保護観察所のモデルケースとして注目されていた。東京保護観察所の所長には、平田勲が就任した(大審院検事との兼務)。平田は、保護観察制度の運用面で重要な役割を果たした人物である。 大阪・名古屋・広島・札幌の所長は思想検事から転出した専任者が所長になり、その他の保護観察所の所長は地裁検事局の思想検事が兼任した。このように、保護観察制度の運用は思想検事によって主導されたと言ってよい。 保護観察所だけではなく、民間の保護事業団体や、寺院、教会、病院も身柄の引き受けの請負でかかわった。保護事業団体としては、例えば、半官半民の帝国更新会があげられる。この会では、元共産党員で転向者の小林杜人が、思想犯の職業あっせんを担当した。
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