物語
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物語(ものがたり)とは、主に人や事件などの一部始終について散文あるいは韻文で語られたものや書かれたもののことを指す[1][2]。
- ^ 大辞泉【物語】
- ^ 大辞泉の説明では「作者の見聞や想像をもとに、人物・事件について語る形式で叙述した散文の文学作品。」
- ^ “storyの意味 - goo辞書 英和和英”. goo辞書. 2019年2月28日閲覧。
- ^ Yuan, Ye; Major-Girardin, Judy; Brown, Steven (2018-09). “Storytelling Is Intrinsically Mentalistic: A Functional Magnetic Resonance Imaging Study of Narrative Production across Modalities”. Journal of Cognitive Neuroscience 30 (9): 1298–1314. doi:10.1162/jocn_a_01294. ISSN 1530-8898. PMID 29916789 .
- ^ MD, Robert H. Shmerling (2021年6月17日). “Careful! Scary health news can be harmful to your health” (英語). Harvard Health. 2021年6月19日閲覧。
- 1 物語とは
- 2 物語の概要
- 3 ナラトロジーと物語
- 4 関連項目
物語文学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:39 UTC 版)
院政期の物語文学は、『源氏物語』の圧倒的な評価と影響のもとにうまれた。物語を書こうとした多くの作者は『源氏物語』の愛読者でもあった。そのひとりが『更級日記』の作者菅原孝標女であり、御物本『更級日記』に藤原定家が付した奥書には『浜松中納言物語』『夜半の寝覚』も彼女の作と書かれている。いずれも『源氏物語』の模倣であるとか、非現実的な題材を扱っているなどと評されるが、それぞれ固有の主題と新しい傾向をみせているとの評価もあり、近年見直しが進んでいる。 11世紀後半の物語群のなかで最も高い評価を受けてきたのは、六条斎院宣旨作と考えられる『狭衣物語』である。主人公の男性狭衣大将の追い求めて充足されない恋の遍歴が情感豊かに描かれている。 12世紀に入ると、新しい主題を求めて趣向をこらす傾向が現れる。『とりかへばや物語』が有名で、男女の性格が正反対の兄妹が、父によって男女入れ替えて育てられ、それぞれの人生を切りひらこうとする物語で、現代のジェンダーに通じる主題を扱っている。 この他、10編の短編を集めた『堤中納言物語』が伝わっている。作者不詳で天喜3年(1055年)の成立とされる。説話的な語り口で人生の断面が垣間見られる佳品で知られ、なかでも「虫めづる姫君」は風変わりな題材を扱い、後世、人びとに読みつがれてきた。
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物語文学
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中王国時代には多彩な物語の創作も行われた。特に『シヌヘの物語』として伝わる作品は、多数の写本やオストラコンの断片によって伝わっており、エジプト文学の代表作品となっている。他、『難破した水夫の物語』『雄弁な農夫の物語』などがあり、これら多彩な文学作品の登場も中王国時代を特徴づける。また、第4王朝と第5王朝の交代にまつわる伝説的な説話、『ウェストカー・パピルスの物語』も、中エジプト語のバージョンで現代に伝わっている。 『シヌヘの物語』は、エジプト古典文学の中でも後世まで好んで読み継がれた作品であり、エジプトにおける「古典の中の古典」と呼ばれる。墓銘の自伝の形式をとり、主人公シヌヘの一人称で物語が進む。この物語ではアメンエムハト1世が暗殺されたのを知った遠征中のセンウセルト1世が首都に急ぎ戻る際、この遠征に同行していた別の王子がこの事態を利用して王位を獲得しようと目論んだ。この陰謀のために高官シヌヘは身の危険を感じ、アジア人の下へと逃走し、亡命先でベドウィンの族長の娘を娶ってその地で高い地位に着く。しかし望郷の念に駆られたシヌヘは、地位を捨ててエジプトに帰り、既に王座を確保したセンウセルト1世の許しを得てエジプトの地で死去するという物語である。物語では異国の地にあっても変わらぬシヌヘのセンウセルト1世に対する忠誠心が現れており、この作品は他の政治的文学同様に王権に対する明瞭な目的意識に支えられているが、様々なモチーフ、エピソードを組み合わせて文学性の強い作品に仕上がっており、彼の冒険や立身出世の物語は多くのエジプト人の心を引き付けた。 『雄弁な農夫の物語』は、現存する古代エジプトの文学作品の中で最も長大かつ完全に現存する物の一つである。中王国時代の古典文学の代表作の一つであり、技巧を凝らした文体を特徴とするが、『シヌヘの物語』が後世においてもエジプト人達から愛好されたのに対し、この作品は中王国時代の後には高く評価されることはなくなった。悪徳官吏によって不当に財産を奪われた農夫が、九度にわたる長い訴えの末に奪われた物を取り戻し、更に悪徳官吏の財産も与えられて「正義」が実現されるとう物語である。貧しい農民の口から「正義」を主張させる形式は、第1中間期と中王国時代の社会的風潮をよく反映していると見なされるが、後代のエジプト人には秩序の感覚に反するものと映ったようである。また、その技巧を凝らした文体と相まって、翻訳者による差異の激しい作品であり、その理解は完全ではない。 『難破した水夫の物語』は、口承文学の系列に属するものと考えられ、現存するのは物語の末尾の部分だけである。現存する写本の年代は第12王朝または第13王朝時代とされ、船に乗り合わせた人々が退屈しのぎに順番に物語を語るという形態をとっている。
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