対日戦とは? わかりやすく解説

対日戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:31 UTC 版)

エンカウンター (駆逐艦)」の記事における「対日戦」の解説

極東戦争危機高まってくると、「エンカウンター」は巡洋戦艦レパルス」などと共に1941年10月当時イギリスの植民地支配にあったシンガポール向かい12月初めに到着した戦艦プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦レパルス」が1941年12月10日マレー沖海戦日本軍撃沈された後は、最初インド洋での船団護衛従事しそれからアメリカ-イギリスオランダオーストラリア連合部隊ABDACOM)に加わった

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対日戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)

ウィンストン・チャーチル」の記事における「対日戦」の解説

マレー作戦 北部マレー半島日本軍数的にわずかに優勢であるにすぎなかったが、制空権戦車戦歩兵戦術戦闘経験において優越していた。日本軍瞬く間マレー半島イギリス軍屈服させ南下続けた。さらにイギリス領シンガポール沖ではイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズ巡洋戦艦レパルス日本軍の爆撃機によって沈められた。チャーチルは「あの艦が」と絶句し、「戦争全体で(その報告以外)私に直接的な衝撃与えたことはなかった」「私は、ベッドの中で、身もだえした。もう、アジアは、日本のものになった」と後に回顧録中に記している。 香港陥落 イギリス阿片戦争獲得した永久領土である香港島を含む香港は、1941年12月8日日本軍の侵攻開始よりわずか18日間の戦いで日本軍の手落ちたシンガポール陥落 1942年1月終わりからシンガポール日本軍包囲されたが、チャーチルは同市のイギリス軍死守命令下し降伏を許さなかった。また「アジア人対すイギリス威信弱まる恐れがある」として「包囲」という言葉の使用禁じた。だが日本軍による猛攻受けて現地司令官アーサー・パーシバル中将独断包囲軍司令官山下奉文中将降伏申し出シンガポール陥落イギリス軍オーストラリア軍などからなる連合国軍12万人から13万人捕虜となったシンガポールイギリスがほぼゼロから作り上げ世界第4位の港にまで育て上げた大英帝国繁栄象徴であっただけに、それが陥落した衝撃大きかった。 「シンガポール難攻不落」と豪語していたチャーチルは、先の2隻の戦艦撃沈続きマレー半島全域喪失シンガポール陥落とそれに伴う多く戦死者捕虜出したことで国会において野党労働党からの厳し追及を受け、ショックのあまり寝込んでしまったという。 またチャーチル自書で「英国軍歴史上最悪惨事であり、最大降伏」と評している。一時心労のあまり首相辞任考えるほどであったビルマインド 日本軍は更にイギリス領インド帝国隣接する植民地であるビルマにも進軍開始したこうした中でインドの全インド会議委員会独立チャンスが来たと見て1942年8月より反英闘争インド退去運動(Quit India Movement)」を開始しイギリス当局徹底的に弾圧したガンジーネルー、全インド会議委員会幹部次々と逮捕・投獄されていった。 この直後またしてもアメリカから「インド大西洋憲章適用せよ」との横やりが入ったが、チャーチル拒絶したこの後アメリカしつこくイギリスのインド支配破壊画策し続け我慢の限界達したインド総督リンリスゴー侯爵は、1943年本国インド担当省に対して善意干渉家がアメリカから流出してくるのを防いでほしい」と要請している。 インド洋セイロン 日本海軍は、1942年4月行われたセイロン沖海戦などでイギリス海軍駆逐しこれまでは「イギリスの海」であったインド洋制海権を手にした。この為イギリスインドオーストラリア間の海上貿易軍用品供給止まることを余儀なくされた。さらにシンガポールペナン日本海軍基地ドイツ海軍イタリア海軍潜水艦常駐しインド洋通商破壊戦を行う有様であった。さらに日本海軍アフリカ大陸沿岸マダガスカル上陸し同地イギリス軍との間に陸戦展開したオーストラリア 南下した日本軍オーストラリアへ攻撃開始し1942年初頭から1943年暮れにかけてオーストラリア本土への空襲実施した。 これらのアジア太平洋戦局の方は、1943年中盤以降アメリカダグラス・マッカーサー大将率いる「飛び石作戦」の導入により、オーストラリア軍ニュージーランド軍協力受けて日本への反撃主戦地を太平洋諸島移しており、イギリスの出る幕はなくなっていった。この状況についてイギリス外交文書も「マッカーサー将軍一人遊び」、「マッカーサー将軍独裁」という表現をよく使用するうになる

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