国鉄キハ181系気動車とは? わかりやすく解説

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国鉄キハ181系気動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 01:55 UTC 版)

国鉄キハ181系気動車(こくてつキハ181けいきどうしゃ)[注 1]とは、日本国有鉄道(国鉄)が開発・保有した特急形気動車1968年昭和43年)から1972年(昭和47年)までに158両が製造された。


注釈

  1. ^ 系列を持つ国鉄初の新系列気動車として3桁表示の付番となり、新性能電車同様に形式称号車番の間にはハイフンが挿入されている。正式な系列名は「181系」である。ただし、慣例的なものや、181系電車との混同を防ぐため、一般には「キハ181系」と呼ばれることが多い。
  2. ^ 電車特急は1時間定格出力120 kW級のMT54形電動機の開発によりパワーアップが実現し、主要幹線での最高速度が120 km/hに引き上げられたが、そもそもキハ80系は、車輪の摩耗時にも100 km/hを確保できるような最終減速比が設定されるなど、各部が最高速度100 km/hを前提に設計されており、100 km/hのまま留め置かれた。
  3. ^ キハ60系自体も後に通常のDMH17Hエンジンと、TC2またはDF115液体変速機に換装された。
  4. ^ このDMH17H系機関は補機や排気管の取り回しなどの制約から、構造的に過給器の付加が難しい、という問題を抱えていた。縦置きのDMH17系では、排気タービン過給器中間冷却器を付加することで定格出力300 PSを達成したDMH17SBが存在したが、これを横置きの気動車用に応用することは困難であった。
  5. ^ シリンダ径130 mm、行程160 mm。
  6. ^ 対向シリンダのクランク軸とコネクティングロッドの組み付け状態から、いわゆるボクサーエンジンではなく、バンク角180°のV型12気筒となる。
  7. ^ シリンダ径180 mm、行程200 mm。
  8. ^ DMH17の初号機が設計された戦前の段階では、日本ではターボチャージャー(当時は一般に排気タービンと呼称した)は満足な性能・信頼性を得られる量産品が存在しなかった。
  9. ^ 本エンジンが開発された1965年は陸用機関で予燃焼室式一辺倒から脱却する準備が始まった時期であり[3]直噴方式へと移行する風潮が生まれたのが1966年である[4]。大型機関で直噴式の傾向が強まるのは1975年からである[5]、直噴化が進み予燃焼室が少なくなっていくのは1978年である[6]
  10. ^ 21.3mの全長は気動車においては1956年に登場したキハ44800形で既に採用されていた。
  11. ^ 冷凍能力4,000 - 5,000 kcal/h。
  12. ^ 冷凍能力5,500 kcal/h。なお急行形電車485系電車後期型183系電車などで採用されたAU13EはAU13を基本として架線下での使用を前提に絶縁対策が施されている。
  13. ^ 水平対向12気筒排気量30 L 予燃焼室式水冷4ストロークディーゼルエンジン ターボチャージャー付 連続定格500 PS/1,600 rpm、最大出力590 PS/2,000 rpm。
  14. ^ 横形(水平シリンダー形)直列6気筒 予燃焼室式水冷4ストロークディーゼルエンジンターボチャージャー付230 PS/1,500 rpmを搭載しており、走行用のDML30HSCとは部品の互換性がある。ただし、量産先行車(キハ181-1 - 4)はターボなしのDMF15H-G 180 PS/1,500 rpmで、その分発電能力が低下する。
  15. ^ 発動発電機を表す英語の Generator set に由来する、当時の用語。
  16. ^ 発電用エンジン出力の相違から、キハ181形量産先行車では1セットで4両分の給電能力となる。
  17. ^ ただし、キサシ180形は電子レンジ電気コンロなどの厨房機器の関係で、それぞれ2両分の電力を消費する。
  18. ^ DW4Cは爪クラッチ、DW4Eは湿式多板クラッチで、DML30HSC搭載車はDW4C搭載で竣工したが、途中で改良や検査時の部材プールの関係でDW4D・DW4Eへ改修・交換されている。
  19. ^ 動輪周馬力 = けん引力と均衡速度は応分に高く、特にトルク伝達効率のピークは、板谷峠を想定した登り33.3パーミルでの均衡速度である60 km/h強に設定されている。
  20. ^ このため冷房搭載の試験車となったキハ91 8を除くキハ91形量産試作車では、屋根上放熱フィンの間に強制通風ファンを追加して速度による通風量変動を一定の範囲に収めるという、その採用理由と相矛盾する対策が採られた。これに対し、本系列ではキハ91 8と同様ここに冷房装置が搭載され、夏期には側面吸気上面排気という冷房装置の構造から、一定の冷却補助を期待できたが、小断面トンネルが連続する勾配区間では逆に上面から排気された熱を帯びた空気が屋根上放熱器にまとわりつくことになるため、状況がかえって悪化した。
  21. ^ 水は比熱が1グラムあたり4.19 - 4.2と潤滑油の1.8に比べると大きく、温まりにくく冷めにくい。そのため冷却水量が多ければ一度高温になった冷却水がすべて冷えるまでに長い時間を要し、冷却水路が長ければ流路抵抗 = 馬力損失も大きくなる。
  22. ^ この問題は機関出力の損失を嫌って同じく自然通風式冷却器を搭載した、戦前のキハ40000形でもやはり勾配線区での走行時に発生して問題となったことが知られている。なお、本系列の開発が進められていた当時、国鉄の車両全般について責任を負う車両担当副技師長は同形式の設計開発に携わり、その失敗の経緯を良く知っていた北畠顕正であった。
  23. ^ もっとも、名目上は「補助」冷却器で、実際に本系列の設計に携わった副島廣海も「この放熱器は補助的なもの」と第1編成完成当時の鉄道誌[12]で明言している。だが、少なくとも後年の実際の運用においてはこの床下強制通風式冷却器を「常時」使用し、機関の冷却水温が70 を超過する場合に限って屋根上ラジエーターを併用するような運用形態で主従関係が完全に逆転している。
  24. ^ キハ181形の自重は量産先行車で44.2 t、量産車では44.6 t、積車重量は51 t(軸重 12.75 t)に達した。これに対し、発電セットを持たない中間車は、キハ180形の初期車で自重41.4 t、キロ180形の量産車でも42.4 tであった。なお、冷房装置とその発電セットを搭載し、しかも自然通風式放熱器を搭載するキハ91 8は、発電セットが小型であったにもかかわらず、自重が45.9 tに達した。
  25. ^ 量産車(キロ180-3 - ・キハ181-5 -・キハ180-7 -・キサシ180-3 - )以降は車輪ディスクブレーキ付きのDT40・TR219への改良が実施された。
  26. ^ 後年のキハ183系の2軸駆動台車(DT48・DT54)はボルスタの有無に関わらず推進軸の貫通場所をトランサム中心からずらすことでこの問題を回避している。
  27. ^ リンク機構は十分な実績のある「アルストムリンク」と同様の「Zリンク」であるが、リンクの長さに対して断面積が小さい。
  28. ^ もっとも、その煽りで車両を供出したキハ90系本来の急行運用において、こちらも車両故障が頻発していたことから定数を充足できず、エンジンの相違から同等の性能が得られず予備車となっていたキハ90形を機関換装してキハ91形へ編入改造することで、ようやく所要両数を満たす有様であった。
  29. ^ この位置では、エンジンはアイドリング状態であり、機関ブレーキは開放の状態となっている。
  30. ^ 静油圧式ファンによる強制通風式で、発電セットの冷却用放熱器も併設する。
  31. ^ 開発当時には、特急列車は食堂車や1等車(グリーン車)を連結することが当然と考えられており、そのような短編成での運用は考慮されていない。
  32. ^ 元キロ180-1 → 元キロ180-151 →キロハ180-5
  33. ^ 181系電車をはじめ、1950年代後半から1960年代にかけて国鉄が設計した特急形車両では、連日の高速運転による酷使もあって、軽量化が過ぎた台車枠の強度不足による変形や亀裂の発生で台車交換となった例が多い。だが、それらの大半は薄すぎた板材の増厚などで対処されており、本系列のように軸箱支持機構の変更による全面的な設計変更を伴い、かつ無条件に現役全車に対して施工されたものは他にない。
  34. ^ モケットの色はキハ185系登場時のものと同じだが、肘掛側面がモケット張りである、灰皿が肘掛上面にある、テーブルに丸い穴があるなどの相違点があった。
  35. ^ 急行「しなの」を格上げ。
  36. ^ 新製配置の際に120 km/hでの性能試験が実施されているが、初期故障対応や地上設備の問題などから最高95 km/hのまま営業運転が開始されている。なお、本系列の120 km/h での営業運転は1970年(昭和45年)秋のダイヤ改正にともなう特急「つばさ」での東北本線上での運用が最初である。
  37. ^ 主に冷房装置を備えサービス面でのレベル低下が少ないキハ91 8が起用された。ただし、同車の「しなの」転用が恒常化した結果、キハ90系の運用に支障が生じ、出力不足で休車となっていたキハ90 1の機関を換装してキハ91 9とすることで車両定数の不足を補うという処置が取られている。
  38. ^ 量産先行車は定数ぎりぎりの7両編成2本分のみ製造され、本系列としての予備車は用意されなかった。
  39. ^ 速度種別は全動力車で特通気A32、動力車11両+キサシで特通気A31、動力車8両+キサシで特通気A27と設定されており、最高速度はキハ80系の100 km/h から120 km/h へと向上している。これらの速度種別は優等車を付随車としている関係で一般にMT比の低い485系電車を概ね凌ぐ数字であった。また、後年の出力是正後も特通気A28(全動力車)が指定されており、気動車ならではの起動加速度と、当時の電車並かそれ以上の高速走行性能を備えていた。もっとも、速度種別そのものは電車を凌駕したが、特に中・高速域での加速性能は出力特性の相違から電車のそれに及ばず、自重過大もあって実質的な走行性能は同時期の電車を必ずしも上回るものではなかった。そもそも、停車駅数の少ない優等列車では、起動加速度の高さはほとんど寄与せず、むしろ速度制限区間通過後の再加速などで多用される中速域での加速性能の低さの方がダイヤ編成上制約となったのである。また、速度種別設定の上限ぎりぎりでのダイヤ設定は、機関および冷却系に多大な負担をかけた。
  40. ^ 上野から福島まで最高120 km/h での高速走行を実施した直後に最大33パーミルの板谷峠を擁する連続急勾配区間に入るという、極めて過酷な使用条件であった。後年電化の際も483系・485系では東北特急の共通編成である6M5Tや速度種別上キハ181系8両(動力車7両+キサシ1両)と同等になる6M4Tでは巻線過熱で営業運転は困難と判断され、その運用全期間を通じてMT比2:1での編成が厳守された。
  41. ^ 噴射量過大の場合は定格出力を超える可能性がある。
  42. ^ この措置は1975年(昭和50年)の奥羽本線電化完成に伴う485系電車への全面置き換えまで継続された。
  43. ^ 中央西線は1973年に電化されて「しなの」の運用は1975年3月に終了、奥羽本線は1975年の電化により「つばさ」「あおば」での運用を終了している。
  44. ^ 西日本地域(四国を含む)においては、最高速度が山陽本線ではキハ80系と同じ100km/h、その他の路線では85km/hないし95km/hでの運転となり、ダイヤ上もキハ80系の性能に合わせて設定されたので、少なくとも国鉄分割民営化直前の1986年11月ダイヤ改正まではフル性能で運転されることはなかった。
  45. ^ 但し、名古屋工場も名古屋第一機関区も同じDML30系エンジンを搭載するキハ65形については、長野局管内からの500番台車の転属をすんなり受け入れており、関西本線や紀勢本線、高山本線などで急行が廃止されるまで運用されていた。
  46. ^ ただし、1980年(昭和55年)10月27日付けで米子区の余剰車3両(1・2・ 4)が廃車になっている。同時に「つばさ」撤退後も尾久区で保留状態(現車は宝積寺駅で放置)のキサシ180-3・5・7も除籍された。
  47. ^ キサシ180形については耐寒耐雪構造の強化や食堂電源用の自車分電源用機関の搭載などといった改造を施したうえで北海道に転属させ、キハ183系の食堂車に転用することも検討されたが結局見送られ、キハ183系には食堂車の連結は行われなかった。
  48. ^ 除籍日は1985年(昭和60年)5月7日。その後も大篠津駅(現・米子空港駅)の側線に長期間放置され、実際に解体されたのは民営化後の1988年(昭和63年)頃である。
  49. ^ この「はまかぜ」はキハ80系時代の運用を踏襲して新大阪始発であったため、新大阪 - 姫路間の東海道山陽本線上を後発の新快速電車に追われながら最高120 km/hで走破する、本系列としては久々の高速運用となった。なお、キハ181系への置換え当初はキハ80系のダイヤをそのまま踏襲したため、大阪 - 姫路間の所要時間は最速でも68分だったが、1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正からは大阪 - 姫路間で本来のキハ181系の性能に則ったダイヤになってスピードアップが図られている。
  50. ^ 当初は米子発着の3・2号のみ置き換えられ、博多発着(食堂車連結)の1・4号は置き換えに必要な両数が確保できずキハ80系で据え置き(そのためキサシ180を転用できなかった)。1985年(昭和60年)に1・4号も区間短縮のうえ置き換え。
  51. ^ 瀬戸大橋線開通当初から騒音問題があったが、特に人家が近い下津井瀬戸大橋直下の地区での騒音問題は深刻になり、前年中に本系列より車重が軽いキハ185系が瀬戸大橋線を多く通る運用に変更されたが、騒音自体は両系列ともほとんど変わりなかったため、対策として瀬戸大橋上の減速区間では65 km/hに制限された。
  52. ^ これにより当時運転されていたJR四国の特急列車すべてについて運用実績が残される結果となった。
  53. ^ 下り「はまかぜ5号」最終日の編成は以下の6両編成であった。←姫路:キハ181-48+キロ180-12+キハ180-6+キハ180-48+キハ180-79+キハ181-27:大阪・鳥取
  54. ^ 編成は以下の通り。←米子:キハ181-49+キハ180-22+キハ180-77+キハ180-49+キハ180-36+キハ181-47:京都→

出典

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