初代 L1#型(1978年 - 1982年)
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「トヨタ・コルサ」の記事における「初代 L1#型(1978年 - 1982年)」の解説
1978年8月 トヨタ初の前輪駆動車として姉妹車のターセル(ただし北米仕様は発売当初カローラ ターセル名義だった)と、共に販売開始された。キャッチコピーは「広さのコルサ」。コルサのボディタイプは、2ドア/4ドアセダンと3ドアハッチバック。発売当初は1,500cc(SOHC・4気筒・1A-U型)のみだった。 初代と2代目はエンジンを縦置きに搭載、イシゴニス式ミッションの採用をしたFF(前輪駆動)であった。そのため4mをわずかに切る全長ながら、当時のコンパクトクラスとしては最長を誇る2,500mmのホイールベースを可能にしていた。 パワートレーンの配置はトランスミッションに内蔵されたメインドライブシャフトが車体前方に伸び、デフはクラッチ下に置かれていた。エンジン縦置きを採用した理由としては「エンジンの整備性向上」、「既存のオートマチックトランスミッション搭載に有利」、「不等長ドライブシャフトに対する等長ドライブシャフトの優位性(トルクステア軽減)」などが挙げられていた。 このパワートレインレイアウトからエンジンとデフが「2階建て構造」となったことにより、車体から観るボンネットの高さや側面のベルトラインが比較的に高い位置となるデザインとなった。ライバル車に対しロングホイールベースやホイールハウスのないリヤシート、エンジン縦置きレイアウトなどを特徴とする。それによりこのサイズの小型乗用車としては、広い十分な室内空間を確保でき、アメリカ市場において重宝とされ、人気を博した。 1979年6月 1,300ccの2A-U型とオートマチック(1,500ccのみ)を追加。1,500ccのエンジンが1A-U型からE70型カローラ/スプリンターと共通の3A-U型に換装される。 1980年8月 スラントノーズ化されるマイナーチェンジを受けた。同時に1500に「GSLアベニュー」を設定。 販売終了前月までの新車登録台数の累計は11万7715台
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初代 L1#型(1978年 - 1982年)
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「トヨタ・ターセル」の記事における「初代 L1#型(1978年 - 1982年)」の解説
1978年(昭和53年)8月 - トヨタ初の前輪駆動車として姉妹車のコルサとともに販売開始された。両車の違いは細部の意匠と販売店。ターセルがカローラ店とディーゼル店、コルサがトヨペット店の扱いだった(ターセルは二代目からビスタ店扱いに変更)。キャッチコピーは「ロング・ロング・ターセル」。 ボディタイプは2ドア/4ドアセダンと3ドアハッチバック。発売当初のエンジンは新開発の1,500ccSOHC直列4気筒の1A-U型のみだった。 1979年(昭和54年)6月 - 1,300ccの2A-U型エンジンとオートマチック(1,500ccのみ)を追加。1,500ccのエンジンが1A-U型からE70型カローラ/スプリンターと共通の3A-U型に変更される。 販売低迷のテコ入れのため、CM出演者に山口百恵を起用し姉妹車のコルサとの合同CMとした。CMソングは「愛の嵐」。販促ポスターの撮影は篠山紀信。キャッチコピーの「百恵の、赤い靴」にちなんで、3ドア・Sにツートンカラーの特別仕様車が設定され、イメージモデルとなった。それとは別に特別仕様車「百恵セレクション」が設定された。 1980年(昭和55年)8月 - スラントノーズ化されるマイナーチェンジを受けた。同時に1500に「SEアベニュー」を設定。これに伴いCMソングが山下久美子の「ワンダフルcha-cha」に変更された。また、北米仕様もこのマイナーチェンジを期に車名が『カローラターセル』から『ターセル』へと改称された。 販売終了前月までの国内新車登録台数の累計は11万6935台。
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