出羽統一期とは? わかりやすく解説

出羽統一期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:19 UTC 版)

最上義光」の記事における「出羽統一期」の解説

家督相続を巡る一連の抗争が義光の勝利終わった後も、最上氏庶流天童頼貞東根頼景上山満兼などは依然として義光に従わず谷地城主・白鳥長久は、中央の実力者織田信長出羽守への推任を願い出るなど、この時点ではまだ最上一郡の支配すらもおぼつかない状態であった。そのため義光はまず家中法度整備など足場固め努めしかる後羽州探題最上氏勢威回復させるための戦に乗り出した。 なお、このころまでに正室大崎氏より得て盟約を結び、天正3年1575年)に嫡男義康が誕生している。 天正5年1577年)、天童頼貞盟主とする最上八楯と戦うも決着せず、和睦して頼貞の娘(天童御前)を義光の側室迎えた天正6年1578年)、上山満兼伊達輝宗支援受けて最上領に侵攻した。義光は粘り強く防衛につとめ攻城戦から野戦持ち込み連合軍手痛い打撃与えた浮き足立つ輝宗の陣に、兄の危機察した妹・義姫駕籠乗りつけ、両者説得して和議を結ばせた(柏木山戦い)。天正8年1580年)、義光は満兼の重臣里見民部内応すれば上山領を与えると誘いをかけ、これに乗った民部は満兼を殺害して義光に降り上山城手中に収めた。 天正9年1581年)から村山郡にも兵を進め、まずは天童氏姻戚である小国城主・細川直元万騎ヶ原の戦いで破り小国城攻略。夏には小野寺氏重臣鮭延城主・鮭延秀綱調略する。 天正10年1582年)、天童御前三男義親産んで間もなく死亡したため、天童氏との和睦白紙戻った天正11年1583年)、庄内大宝寺義氏最上攻め計画したが、義光は事前に大宝寺家臣東禅寺義長らを内応させており、義長は謀反起こし逆に義氏を急襲した。不意を突かれた義氏は自刃した。 天正12年1584年)、義光は白鳥長久の娘を嫡男・義康の室に迎えることで懐柔ようとした応じなかったため、病で危篤陥った偽って長久山形城誘き出して自ら斬殺すると、ただちに谷地城攻略した続いて寒河江城主・寒河江高基攻めて自害させ、寒河江氏滅したまた、父・頼貞の跡を継いだ天童頼澄攻めるも、最上八楯一人延沢満延奮戦最上軍敗退する。そこで義光は、満延の嫡男・又五郎次女松尾姫を嫁がせて、満延を引き抜くと、さらに東根頼景家老里見右衛門内応させて東根城を攻略する追い詰められた頼澄は国分盛重頼って落ち延びた。こうして天童氏盟主とする最上八楯崩壊し、義光は最上郡全域支配下収めた天正14年1586年)、小野寺義道有屋峠で戦う。緒戦敗北するも、嫡男・義康と楯岡満茂らが反撃し小野寺勢を撃退することに成功した天正15年1587年)、大宝寺義氏の弟・義興が上杉景勝接近図っているという情報知った義光は、素早く義興を攻撃して自刃させ、義興の養子義勝上杉家臣・本庄繁長の子)は越後逃れた天正16年1588年2月伊達政宗1万軍勢義兄大崎義隆攻撃すると(大崎合戦)、義光は援軍5,000派遣して隆と共に伊達軍破ったが、義光の妹・義姫保春院)が両軍の間に自分乗った駕籠を置かせて停戦懇願したため、両者和議結んで撤退した。閏5月豊臣秀吉により羽州探題任命される8月最上勢が動けないと判断した越後の上景勝家臣本庄繁長大宝寺義勝父子庄内侵攻命じた景勝意を受けた繁長率い上杉軍十五里ヶ原の戦い最上軍破り庄内地方上杉氏影響にあった大宝寺氏奪還された。その後上杉軍との戦い続いたが、上杉家重臣直江兼続石田三成経由秀吉接近、義光は以前から懇意であった徳川家康通じて交渉にあたるも、秀吉裁定により庄内地方上杉領として公認された。 天正17年1589年5月徳川家康片倉景綱書状送り伊達政宗最上義光友誼篤くするよう要請している。義光は摺上原の戦い援軍送ったという

※この「出羽統一期」の解説は、「最上義光」の解説の一部です。
「出羽統一期」を含む「最上義光」の記事については、「最上義光」の概要を参照ください。

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