ユタ・ビーチとは? わかりやすく解説

ユタ・ビーチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 07:43 UTC 版)

ユタ・ビーチ(Utah Beach)は、1944年6月6日、連合国のオーヴァーロード作戦における最初の攻撃であるノルマンディー上陸作戦(ネプチューン作戦)において5つの上陸地点の1つに連合国側が付けたコードネームである。






「ユタ・ビーチ」の続きの解説一覧

ユタ・ビーチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:32 UTC 版)

ノルマンディー上陸作戦」の記事における「ユタ・ビーチ」の解説

ユタ・ビーチには「稲妻ライトニングジョー」の異名を持つジョーゼフ・ロートン・コリンズ中将率い第7軍団上陸したが、その第1波となる第4歩兵師団第8歩兵連隊兵員乗せた上陸用舟艇が、潮流流されてヴィール河口部辿り着いた。これは計画より2,000ヤード南方となったが、本来の上陸地点よりドイツ軍防備弱かったまた、オマハ・ビーチでは荒波のためにDD戦車次々と没してしまったが、こちらの波は比較的穏やかでありDD戦車も殆ど無事に上陸成功している。 オマハ・ビーチとは違ってユタ・ビーチは上陸前の砲爆撃でかなり叩かれていたうえ、上陸直前にはロケット中型揚陸艦に、大量ロケット弾撃ち込まれてさらに損害増大した激しい砲爆撃にも生き残ったドイツ兵たちは、アメリカ軍の上陸舟艇DD戦車海岸向かってくるのを見て、完全に裏をかかれて干潮時に侵攻してきたことを知りロンメル計算外れた」と考えたドイツ兵たちは東部戦線での経験通り、敵を確実に仕留められる100m位置まで引き付けろと命じられていたが、続々上陸してくるアメリカ兵見てたまらず500mの距離で射撃開始したルノー FT-17 軽戦車地面埋め込んで作れられた即席トーチカ機関銃上陸してきたアメリカ兵なぎ倒したが、やがて上陸してきたDD戦車が姿を現した。大きなゴム製の気嚢付けた姿は味方重戦車見慣れているドイツ兵の目にも怪物のようにうつったという。わずかに生き残っていたアハト・アハトがその怪物向けて砲撃開始し命中はしなかったものの、至近弾で吹き飛ばされ停止した為、それを見ていたドイツ兵は歓声上げたが、ドイツ軍善戦長続きすることはなく、今までの砲爆撃破損していたアハト・アハトは1発の砲撃で完全に壊れてしまい、ルノー戦車トーチカ後続DD戦車砲撃受けて撃破されてしまった。追い込まれドイツ軍最後の手段として、新兵器ゴリアテ投入したが、絶え間ない爆撃振動誘導装置故障しており、うまく誘導することができず1発も命中することはなかった。 ユタ・ビーチに真っ先上陸した将官は、アメリカ合衆国第26代大統領セオドア・ルーズベルト息子セオドア・ルーズベルトJr英語版准将であったルーズベルトJr体調崩してをついていたが、大胆不敵に銃弾飛び交うなかを、絶え冗談をかわしながら悠然と歩きまわっていた。精鋭配置されていたオマハ・ビーチとは全く異なり、ユタ・ビーチのドイツ兵はじっくりと狙い定めて正確な射撃をしようとする意図感じられず、アメリカ兵から見ると「ビーチ方向に向け、ただ銃口左右に振っている」ようにしか見えなかったという。ユタ・ビーチにおける上陸部隊任務は、ドイツ兵が小銃機関銃構えて立て籠もる孤立した陣地一つ一つ虱潰しにしていくこととなり、その様正規軍同士戦闘というよりはむしろ対ゲリラ戦のようなものとなった上陸部隊兵士には敵が武装親衛隊兵士であれば爆弾手榴弾隠し持っている危険性が高いため皆殺しにするようにと指示されていたこともあり、1時間足らずでユタ・ビーチを守るドイツ兵は一掃されてしまった。一方で上陸部隊損害軽微で、死傷者数197名と全上陸管区最少であった。 ユタ・ビーチでの最大損害艦砲射撃のために海岸接近していたアメリカ軍コリー英語版)」の損失となった。「コリー」は海岸接近すると、浅瀬投錨して沿岸ドイツ軍砲台砲撃戦演じたが、あまりに激し速射で「コリー」の艦砲砲身灼熱したため、平が消火ホースをかけて冷却しなければいけないほどであった。やがて110発の砲弾浴びせて砲台撃破すると、他のドイツ軍砲台目の敵にして「コリー」に砲撃集中した。「コリー」は錨を上げると、ドイツ軍砲撃巧み操艦でかわし続け逆にドイツ軍砲台有効な砲撃浴びせたが、その様子はあたかもコリー」がバレエをしているように見えたという。 ドイツ軍砲弾避け続けたコリーであったが、ドイツ軍設置していた機雷触雷し、激し衝撃で艦は海上から一旦持ち上がって海面叩きつけられると、艦体がほとんど真っ二つとなってしまった。「コリー」はあたかも屑鉄の山のようになってそのまま慣性1㎞ほど進んだが、動き止まったコリー」にドイツ軍砲台集中砲撃加えてそのまま撃沈した激し戦闘により沈没したコリーであったが、人的損失思いのほか少なく、全乗組員284人中戦死行方不明13人、負傷者33人に収まった。しかし、この「コリー」の沈没は、D-デイにおける“史上最大”の大艦隊の最大損失且つアメリカ海軍唯一の損失となった

※この「ユタ・ビーチ」の解説は、「ノルマンディー上陸作戦」の解説の一部です。
「ユタ・ビーチ」を含む「ノルマンディー上陸作戦」の記事については、「ノルマンディー上陸作戦」の概要を参照ください。


ユタ・ビーチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 16:42 UTC 版)

DD戦車」の記事における「ユタ・ビーチ」の解説

ユタ・ビーチにおいては70戦車大隊DD戦車使用した。4両のDD戦車ドイツ軍砲撃によってLCTもろとも失われたが 、残り15分遅れで海岸より1000ヤード(900m)の地点から発進した28両中27両が上陸成功したが、強力な煙幕により混乱生じ目標地点から2000ヤード(1800m)も離れた地点上陸したため、ドイツ軍反攻はほとんどなかった。

※この「ユタ・ビーチ」の解説は、「DD戦車」の解説の一部です。
「ユタ・ビーチ」を含む「DD戦車」の記事については、「DD戦車」の概要を参照ください。

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