ドラグーン作戦
ドラグーン作戦
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「ジャン・ド・ラトル・ド・タシニ」の記事における「ドラグーン作戦」の解説
B軍集団司令官として、ノルマンディーで実施されたオーヴァーロード作戦から数週間後となる8月15日のドラグーン作戦の準備を支援した。ド・ラトル麾下の7個師団(約25万6千人)は、アメリカ軍3個師団と特殊部隊および空挺部隊とともに、アレグザンダー・パッチ中将率いるアメリカ第7軍に参加した。 アメリカ第6軍団および第7軍団とともに、ド・ラトルとその幕僚、主にアントワーヌ・ベトゥアール、エドガー・ド・ラルミナ(1944年8月31日にジョセフ・ド・ゴイスラール・ド・モンサベールに交代)が1944年8月15日にプロヴァンスで分隊してフランス内地軍(英語版)の一部として8月27日のトゥーロンの戦い(英語版)と8月29日のマルセイユの戦い(英語版)に参加した。トゥーロンとマルセイユという2大港湾を解放したことにより、連合国軍の人的・物的補給能力は大きく向上し、西部戦線における決定的な優位が確保された。 ド・ラトルの部隊はヴァレ・デュ・ローヌを遡って9月2日にはサン=テティエンヌ、翌9月3日にリヨンを解放し、さらに9月8日にはマコン、シャロン・シュル・ソーヌ、ボーヌ、オータンを解放した。 フランス内地軍の一部を編入することにより、ド・ラトルは麾下の部隊の実効兵力を13万7千人から約40万人にまで増やすことができた。1944年9月からは、ヴィシー政権軍、自由フランス軍、フランス内地軍からフランス解放軍が編成され、この結果1944年9月25日にB軍集団はフランス第1軍に再編された。
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ドラグーン作戦
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1944年8月15日、ドラグーン作戦の上陸が行われた。侵攻はトゥーロン=カンヌ間で行われた。 アメリカ軍では第191、753、756の各戦車大隊によって計36両のDD戦車が使用された。第756大隊は8両の戦車を岸から2500ヤード(2000m)の地点から発進させ、1両が上陸用舟艇の船首波によって浸水したほか、1両が海中の障害物と激突して沈没した。第191大隊は12両の戦車を投入、すべてが上陸または海岸への接近に成功した。第753大隊は16両の戦車を投入し、8両が海上から発進して上陸に成功、残り8両が遅れて直接上陸した。
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