フットボール・アソシエーションとは? わかりやすく解説

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フットボール・アソシエーション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/30 02:00 UTC 版)

ザ・フットボール・アソシエーション: The Football Association)は、イングランドサッカーを統括する国内競技連盟。略称はThe FA(ザ・エフエー)である。1863年に創立された世界最古のサッカー協会であるため、英語の正式名称は国名を表す修飾語を用いず定冠詞 'The' のみを伴う形で表記される。なお、日本語の報道ではイングランドサッカー協会との呼称が定着している他、サッカー専門の雑誌などでは 'The FA' から定冠詞を省いたFA等の呼び名でも表記される。




「フットボール・アソシエーション」の続きの解説一覧

フットボール・アソシエーション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 09:46 UTC 版)

フットボール」の記事における「フットボール・アソシエーション」の解説

詳細は「フットボール・アソシエーション#歴史」を参照 1860年代初期イングランドにおいて様々なパブリックスクールゲーム統合調和させる試み進められていた。1862年、後にアッピンガム校(英語版)の教師となるJ. C. Thringは、彼が「The Simplest Game」と呼ぶ新たなルール考案した。これらは「アッピンガム・ルールズ」としても知られている。Thringのルール通常ケンブリッジ・ルールズとは見做されていない1863年10月初頭に、ハローシュルーズベリーイートンラグビーマールバラウェストミンスター卒業生代表する7名の委員会によってケンブリッジ・ルールズ新たな改訂版策定された。 1863年10月26日の夜、ロンドン、グレート・クイーン通りのフリーメーソンズ酒場において、ロンドン大都市圏いくつかのフットボールクラブの代表が、フットボール・アソシエーション (FA) の設立会合集った。この協会の目的は、単一統一ルール体系確立し会員間での試合プレー規制することであった初会合に続いてパブリックスクール協会への加盟要請された。チャーターハウスとアッピンガム以外のパブリックスクールはこの誘い辞退した1863年10月から12月の間に合計6回のFA会合が行われた。3回目会合の後、ルール草稿発表された。しかしながら4回目会合始めに、直近発表され1863年版のケンブリッジ・ルールズ注目集ったケンブリッジ・ルールズFAルール草稿とは、ボール持って走ることとハッキング相手の脛を蹴ること)の2つの点で大きな違いがあった。 議論引き起こしたFAルールは以下の2つである。 IX. 選手フェアキャッチあるいはワンバウンドしたボールキャッチした場合対戦相手ゴール向かって走る権利を得るものとする: しかしフェアキャッチ場合マーク行った場合走ってならないものとする。X. もし選手対戦相手ゴール向かって走れば相手側の選手彼にチャージホールドトリッピングハッキング、あるいは彼からボール奪い取る自由があるものとするが、同時にホールドハッキングをすることはできない。 — 5回目会合において、これら2つルール削除する提案成された。代表者のほとんどがこれを支持したが、ブラックヒースの代表でFA初代会計係であったF・Mキャンベル異議唱えたキャンベルは「ハッキングこそが真のフットボールである」と述べたしかしながらボールを手に持って走ることとハッキング禁止動議可決されブラックヒースFA脱退した12月8日最後会合の後、FAは後にアソシエーション・フットボールとして知られるスポーツ最初包括的な一連の規則である「フットボール規則 Laws of Football」を発表した19世紀末から使われている「サッカー soccer」という用語は「Association」の省略形由来する最初FAルールはもはや現在のサッカーでは見られない要素をまだ含んでいたが、それらはオーストラリアンフットボールラグビーフットボールといったその他のゲームにおいて今でも見ることができる。例えば、選手フェアキャッチ行いマーク」を主張することができ、フリーキック権利を得ることができた。また、相手ゴールライン後ろボールタッチした場合タッチした側がゴールライン手前15ヤード13メートル)からのゴール向かってフリーキック権利得た

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フットボール・アソシエーション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 17:49 UTC 版)

サッカーの歴史」の記事における「フットボール・アソシエーション」の解説

詳細は「フットボール・アソシエーション#歴史」を参照 1848年ケンブリッジ大学で初のルール策定なされたが、これはアソシエーション・フットボールを含む後に制定される規定発展に特に影響もたらしたケンブリッジ・ルールトリニティ・カレッジ作成されたものであり、イートン校シュルーズベリー校ハーロー校ラグビー校ウィンチェスター校などの学校代表者出席して行われた会合定められたものであった。彼らは統一ルール定めたわけではなく1850年代様々な形式フットボールプレーするために、高校大学結びつきのない多くフットボール・クラブ英語圏設立された。また、独自のルール制定し試合を行うものもおり、パブリックスクール卒業生により1857年設立されシェフィールド・フットボール・クラブはその代表格であった。これにより1867年にシェフィールドサッカー協会設立されることとなった1860年代前半イングランドにおいて北部工業地帯適用されていたシェフィールド・ルールとともにパブリックスクール行われていた様々なフットボール試合のルール統一調整する試みが行われるようになった1862年オリジナルケンブリッジルール則って試合をするべきだとしていたアッピンガム校(英語版)の代表者J. C.スリングはシンプレスト・ゲームズと呼ばれる独自のルール策定した通称、アッピンガムルールズ)。1863年10月初めケンブリッジルール改訂版イートン校シュルーズベリー校ハーロー校ラグビー校、マールバラ・カレッジ(英語版)、ウェストミンスター・カレッジの卒業生代表で構成される7校委員会策定された。 ハル出身事務弁護士であったエベニーザー・コブ・モーリー(英語版)は1863年新聞の「ベルズライフ(英語版)」に寄稿しフットボール団体作る提案行ったモーリーFA初代秘書 (1863-66) となり、FA第二会長 (1867-74) となったが、彼は特に自宅のあったロンドンバーンズ英語版)において、今日世界中でプレーされているサッカーに関する初のサッカー競技規則暫定案をまとめた 人物として後世にその名を残している。このため、彼は単にフットボール・アソシエーションの父というだけでなくサッカー自体の父と考えられている。 チャーターハウスはアソシエーション・フットボール設立させるための歴史的な呼びかけ行ったこの頃パブリックスクールではフットボール冬場主流スポーツであった1840年代、チャーターハウスとウェストミンスター・スクール生徒取り巻き回廊フットボールプレーする際に制限されるという意味の発言行いラグビー校のような他の学校発展していた、ラフプレー転倒するようなハンドリングゲームは不可能であるとし、新たなルール策定希望していた。アソシエーション・フットボールルール策定が行われた1860年代に、チャーターハウスとウェストミンスター校代表者はパスゲームに対す推奨行い、特にボール保持者の前方へとパスをすることを許すルール策定したその他の学校(特にイートン校シュルーズベリー校ハーロー校)は厳しオフサイドルール用いたドリブルによるゲーム好んだ。ノース・スタッフォードシャー鉄道英語版)の見習い労働者ストーク・オン・トレントにいた1863年チャーターハウス校卒業生はストーク・ランブラーズというサッカークラブ設立した1867年、フットボール・アソシエーションはチャーターハウスとウェストミンスター校試合好意的にとらえ、前方パスを送ることを認める「ルーズ」なオフサイドルール採択した現代前方パスを出すことを許可するルールはチャーターハウスとウェストミンスター校試合のルール直接反映されたものとなっている。 1863年10月26日夕方グレーター・ロンドン地区11サッカークラブの代表がコヴェント・ガーデンのロングエーカーにあるフリーメイソンズ・アームズ(英語版)で会合行った。これはフットボール・アソシエーション (FA) の初会となったFA世界初の公式のサッカー団体であったため、団体名前にイングランド」という名称をつけていないチャーターハウス校招待参加受け入れた唯一のパブリックスクールであった初会合は協会参加するパブリックスクールの代表による要望を出す場となった。アッピンガムのスリング除いて、ほとんどの学校加盟断ったFA6回目会合1863年10月から12月までの間に開催された。委員会メンバーのJ. F.アルコックは「ケンブリッジルール協会による採用が最も望ましいよう感じる」と述べた3回目会合の後、ルール案の暫定案がFAにより出版された。しかし、4回目会合始まり際し直近であった1863年出版されケンブリッジルール対す注意呼びかけられた。ケンブリッジルールFA暫定案と2つの点で大きく異なっていた。一つは「ボール持って運んで)走る」点であり、もう一つは「ハッキング相手選手のすねをける行為)」であった。以下に焦点となったFAルールを示す。 IX. 選手フェアキャッチもしくは最初バウンドボールキャッチした場合ボール持って相手ゴールへと走る権利与えられる。しかし、フェアキャッチ場合選手そのままマークのために走ることはできない。X. もし相手ゴール向かいボールを手で持って走りだした選手がいた場合相手選手は彼からボール奪い取るためにチャージホールドトリップハックする自由を有する。しかし、同時にホールドハックする行為認められない5回目会合において、これら2つルールFAルールから除去することが提案された。ほとんどの代表者がこの提案支持したが、ブラックヒースFC代表者でありFA初代会計であったF. W.キャンベル強硬に反対した。彼は「ハッキング真のフットボールである。」といった。これにもかかわらず提案実行され最終会合において、キャンベル彼のクラブFAから撤退させた。12月8日行われた最終会合の後、FAは「サッカー規則」を出版した。これは後にアソシエーション・フットボールとして知られるゲームの初の包括的なルールセットとなった。そして、これにより「サッカー」と「ラグビー」は完全に別の競技として袂を分かつこととなった同時期にラグビールールによるフットボール行なっていた人々短縮形で「ラガー」と呼んでたようにアソシエーション」の短縮形として「サッカー」と呼ばれていたこの球技は、イングランドフットボールという球技において中心的な存在となり、サッカーよりもフットボール呼ばれることが増えていった。また、サッカー」は今日アソシエーション・フットボール以外のフットボール盛んな国々において、アソシエーション・フットボールを指す一般的な用語として使用されている。 これらの初のFAルール依然としてその他のフットボールラグビーオージーフットボール)であると認識されるような、アソシエーション・フットボールではない要素含んでいた。例えば、選手フェアキャッチをしてマーク宣言することができるというルールである。これはフリーキックという名称を付けられていた。また、選手が敵のゴールラインより向こう側ボールに手で触れた場合ゴールライン手前15ヤードからゴールへの「フリーキック」が与えられるルールもあった。 FAメンバーにより承認されサッカー競技規則ピッチ最大横幅と縦幅、キックオフの手順、ゴールスローインオフサイドなどの用語の定義に関して規定していた。ボールを手でパスすることは依然として認められており、ボールを「正しく1バウンドで」捉えることが要求された。足に装着するものの規定として「先の尖った釘、鉄板ガタパーチャ」を使用してならないという規定があったにもかかわらず選手の数罰則ファウル行為ボール形状に関する特別な規定存在せずボールサイズ重さなどの形状標準化されるまでにはさらに9年要することとなったそれまでの間、参加チームの代表はこれらの規定に関して試合前に合意を持つことが想定されていた。また、ゴールキック1869年に、コーナーキック1872年に、試合キックオフの際に主審が笛を吹いて開始とするルール1878年導入される といったように1863年ルール制定後も度々ルール追加された後、1891年には当時「the kick of death」と呼ばれたペナルティーエリア内で反則犯した場合与えられるペナルティーキックPK)が導入されることとなったまた、この際不満が起きないよう双方チームからアンパイアを出すこととなったが、これは後にラインズマン、そして現代副審へと発展していくこととなった

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