ナチス知識人によるハイデッガー批判と帝国公安からの監視
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「マルティン・ハイデッガー」の記事における「ナチス知識人によるハイデッガー批判と帝国公安からの監視」の解説
ハイデッガーはナチス賛同者の学者からも批判されており、フランクフルト大学・ハイデルベルク大学の哲学・教育学教授エルンスト・クリークはハイデッガーを「極めつけの無神論であり形而上学的ニヒリズム」「ドイツ民族にとっては腐敗と解体の酵素」と非難していた。 1936年、ヒトラー・ユーゲントの機関紙『意志と力』でケーニッツアー博士が「若者の方がハイデッガーよりもヘルダーリンを知っている」と非難し、ハイデッガーはケーニッツアー博士は1933年には社会民主党員として活動していたのに今ではフェルキッシャー・ベオバハター(民族的観察者)の大物となっているがこうしたドイツ人にはもはや多くは期待できないと述べている。 1936年5月14日にはローゼンベルク事務局(Amt Rosenberg)がハイデッガーの調査を行い、これにはイェンシュやクリークらのハイデッガー非難文書が背景にあるとされ、イエズス会的な扇動をしているとも邪推された。1936年5月29日、ローゼンベルク事務局は帝国公安本部学術部門に報告し、ハイデッガーへの監視命令が国家秘密情報機関から出された。 1936年11月17日・24日と12月4日に、フランクフルト自由ドイツ高等神学校で「芸術作品の起源」講演。 1936年から1937年にかけての冬学期に「ニーチェ,芸術としての力への意志」講義。このなかで「ヨーロッパは相変わらず<民主主義>にしがみつこうとし、これがヨーロッパの歴史的な死滅になるであろうことを学ぼうともしない。ニーチェがはっきりと見たように民主主義とはニヒリズムの、すなわち最上の諸価値の価値剥奪の一変種にすぎず、まさしく価値でしかなく、もはや形態を与える諸力ではない」と語った。 一方でライヒ文部省やプロイセン州文部省、中でもベルンハルト・ルスト教育大臣はハイデッガーの支援者であり、極めて良好な関係を持っていた。ルストはフライブルク大学学長辞職後にハイデッガーを哲学部部長に任命するよう大学側に要請したほか、二度にわたるベルリン大学への招請はルストの後援によるものであった。第二次世界大戦末期の時期にも著作出版のための紙の調達に便宜を図っている。 ライヒスコンコルダート以後もナチスはカトリックに圧迫したため1937年3月、ピウス11世教皇は回勅「ミット・ブレネンダー・ゾルゲ」でナチを批判した。ハイデッガーは、1936年から1938年にかけて書いた草稿群『哲学への寄与論考』においてナチスとカトリックとの政教条約に対して、「これら両者の根底には総体的な姿勢として、本質的な諸決断の断念がある。両者の闘争は創造的な闘争ではなくて、プロパガンダと護教論である」と批判し、また「多義性は現実的な決断にたいする無力と無意思を引き起こす。例えば民族とよばれているものはすべてそうである。つまり、共同体的なもの、人種的なもの、低俗で下等なもの、国民的なもの、持続してあるものはそうである。例えば神的と名付けられるものはそうである」(56節「響きあい」)と「民族」や「神的」という言葉に批判的に書き、また「人間が歴史を達成しているかどうか、歴史の本質が存在物を越えて行くかどうか、史実(Histore:物語)が根絶されるかどうかは予測されない。そのことは原存在Seynそのものに委ねられている」と個々の人間の努力によって解決されるものではないという宿命論的な考えが書かれた。 1937年夏学期、フライブルク大学で「西洋的思考におけるニーチェの形而上学的な根本の立場」講義。1937年、ジャン・ヴァールの質問に対して、自分の問題は実存ではなく存在であり、ヤスパースとは異なると答えた。 1937年から1938年にかけての冬学期に「哲学の根本的問い 論理学精選諸問題」講義 1938年6月9日、フライブルク大学で「形而上学による近世的世界像の基礎づけ」を講演、のちに「世界像の時代」と題された。その草稿では「国民社会主義的な諸哲学がそうであるように、矛盾した諸成果の苦労の多い仕立て上げは混乱を引き起こすだけである」とナチスと距離をとった。1938年秋、弟フリッツに金属製の二つの箱にいれた草稿を渡し、清書と保管を依頼した。フリッツはタイプライターを持っていなかったため、銀行の休憩時間や夕食後に職場に戻ってタイプした。 1938年から1939年にかけての冬学期に「ニーチェ 反時代的考察第二編」講義 1939年夏学期、「認識としての力への意思についての教説」講義。
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