スレイター事件
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「アーサー・コナン・ドイル」の記事における「スレイター事件」の解説
1908年12月、スコットランド・グラスゴーでマリオン・ギルクリストという老女がダイヤモンドのブローチを奪われて撲殺された。警察が容疑者としたのはユダヤ系ドイツ人のオスカー・スレイターだった。スレイターはギャンブルや犯罪まがいのことに手を染めてきた素行の悪い人物だったうえ、この直前にダイヤモンドのブローチを質に入れており、しかも偽名で船に乗ってニューヨークに渡航していたため、一見して疑わしい人物だった。またユダヤ人だったため、人種的偏見を向けるのにも格好の標的だった。 警察の捜査は粗略というより、彼を犯人に仕立てあげようという悪意がこめられているものだった。たとえば、証人たちはあらかじめスレイターの写真を犯人の写真と言って見せつけられ、スレイターを犯人と証言するよう誘導されていた。唯一の物的証拠であるスレイターが質入れしたダイヤモンドのブローチはギルクリフトのものと一致せず、質入れした時期も殺人事件前だと判明したが、警察はそれらの情報を隠ぺいしていた。 ニューヨークにいるスレイターは当局から犯罪人引き渡しの脅迫を受けたため、自発的にイギリスに帰国し、逮捕されて裁判にかけられたが、警察による証拠の捏造と隠蔽、弁護士や裁判官の杜撰さによって死刑判決を受けてしまった。当時のスコットランドには刑事事件の上訴制度がなかったため、スレイターにできることはもはや国王エドワード7世に慈悲を乞うことだけだった。世論はスレイターに同情し、2万人もの減刑嘆願署名が集まり、恐らくその影響で死刑執行2日前に終身重労働刑に減刑された。 ドイルは1910年にこの事件の証拠の矛盾を扱ったウィリアム・ラフヘッド弁護士の小冊子を読んで事件を知り、冤罪事件との確信を強めたが、エダルジ事件での役人の結託・隠蔽にうんざりしていたため、今回はすぐに腰を上げようとはしなかった。 しかし調べれば調べるほど、エダルジ事件より酷い冤罪事件と分かり、結局彼は取り組む決意をした。1912年夏に小冊子『オスカー・スレイター事件』を出版した。この中でドイルはスレイターが偽名でアメリカに逃亡したのは、若い愛人と一緒にいることが妻にばれることを恐れて警察から逃れようとしたのではないことを指摘した。また凶器とされるスレイターが持っていた小型ハンマーについては「画鋲を抜いたり、小さな石炭のかけらをたたく以上のことをしたら限界を超える」と指摘した。またこの冤罪がユダヤ人に対する人種的偏見に根ざしている点も指摘した。 ドイルの介入で事件が注目を集める中、事件を担当した刑事ジョン・トレンチ警部補は良心の呵責に耐えかね、警察の方で証言を捏造したことを暴露した。しかし裁判所はこの暴露を再審理由として十分ではないとして却下し、しかもトレンチ警部補は警察上層部の圧力で解雇され、年金を打ち切られてしまった。警察の腐敗ぶりに愕然としたドイルは、『スペクテイター』誌において「この事件は警察の無能さと頑迷さの最高の一例として犯罪傑作集に不滅の名を留めるだろう」と語った。 その後、この事件についての動きは10年以上なかった。その間、スレイターは服役を続け、ドイルは再審請求を何度も司法当局に提出したが、取り合ってもらえない状況が続いた。 1925年2月、服役して16年になるスレイターは看守の目を盗んで釈放された囚人仲間を利用してドイルに助けを求める手紙を送った。これを読んだドイルは、再びこの問題に本腰を入れて取り組む決意を固めた。ドイルは1927年7月にジャーナリストのウィリアム・パークが出版したスレイターの無罪を訴える著作『オスカー・スレイターについての真実』に協力した。この本は世論に大きな影響を与え、この事件に関するマスコミの再調査が過熱した。1927年11月に『エンパイア・ニュース(英語版)』紙は、警察の用意した証人は警察から「スレイターを犯人と証言しろ」と脅迫されていたことを明らかにした。同紙のライバル紙『デイリー・ニュース』も、警察が証人に賄賂を送っていたことを明らかにした。マスコミの報道合戦で警察腐敗の実態がさらに暴露されることを恐れたイギリス政府は同時期に突然スレイターを釈放し、この問題を鎮静化させようとした。 スレイターは釈放されたものの、いまだ無罪と認められたわけではなかった。ドイルは間髪いれずスレイターの名誉回復および不当な刑罰に対する刑事補償の請求を行った。今回は再審が認められたが、スレイターには金がなかったため、裁判費用は支援者たちの募金およびドイルの1,000ポンドの資金援助で賄われた。裁判の結果、スレイターは公式に無罪と判決されたものの、刑事補償はわずか6,000ポンドしか払われず、18年にも及ぶ不当投獄に対するものとしては少なすぎた。しかも裁判費用を全額負担せねばならなかった(ドイルとしては刑事補償1万ポンド、裁判費用は全額国持ちが妥当と考えていた)。 ドイルはあくまで司法・警察の腐敗を正すために行動したのであって、スレイター個人の人柄が好きなわけではなかった(ドイルは強烈な国家主義者であり、スレイターのように不道徳な生活を送る根なし草のコスモポリタンは嫌いだった)ため、無罪判決を得た今、スレイターとは縁を切るつもりだった。彼がお礼として送ってきた贈り物もすべて返却している。またドイルはスレイターが支援者たちに裁判費用を返還しないことを批判した。ドイルにとっては大した金額ではなく自分への返還はどうでもよかったが、ほかの貧しい支援者たちに債務を押しつけようとしていることは許せなかった。ドイルはスレイターに「きみは私が今まで会った人間の中でももっとも恩知らずで愚かな人間だ」と批判する手紙を送っている。
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