控訴審へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 21:11 UTC 版)
「オスカー・スレイター事件」の記事における「控訴審へ」の解説
トレンチとクックの尽力は実を結ばず、大戦の激化とともにスレイターは世間から忘れ去られ、ピーターヘッド刑務所の労役場で花崗岩を削る日々を過ごしていた。しかし、トレンチの未亡人とクックはドイルに資料と望みを託していた。ドイルもまた、スコットランド大臣に繰り返しスレイターの恩赦を要求したが、すべて拒否された。そこでドイルは正攻法ではなく世論に訴えることにし、トレンチとも親交のあった グラスゴーの記者ウィリアム・パーク (William Park) と接触した。 ドイルの協力の下にパークが執筆し1927年7月に発表した『オスカー・スレイターの真実 - 囚人自らの物語とともに』(The Truth about Oscar Slater: With the Prisoner's Own Story) は、再び社会にセンセーションを巻き起こした。さらに野党労働党党首のラムゼイ・マクドナルドが再びスレイターの無実を訴え、与党保守党を議会で追及した。この時期、マクドナルドはドイルと秘密裏に連絡を取り合い、情報を交換していた。
※この「控訴審へ」の解説は、「オスカー・スレイター事件」の解説の一部です。
「控訴審へ」を含む「オスカー・スレイター事件」の記事については、「オスカー・スレイター事件」の概要を参照ください。
- 控訴審へのページへのリンク