スレイドのバージョン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 22:30 UTC 版)
「マイ・ベイビー・レフト・ミー」の記事における「スレイドのバージョン」の解説
ロックバンドであるスレイドは、1977年に、その年の8月に死去したエルヴィス・プレスリーへのトリビュートとして、「マイ・ベイビー・レフト・ミー」のシングルを発表した。このスレイドのバージョンは、この曲を、同じくクルーダップの曲である「ザッツ・オール・ライト」と融合させたもので、シングル盤のジャケットには「マイ・ベイビー・レフト・ミー・バット・ザッツ・オールライト・ママ (My Baby Left Me but That's Alright Mama)」と記されていた。このシングルは全英シングルチャートに4週とどまり、最高32位まで上昇した。このシングルは、スレイドにとって、後に1980年代に復活する以前の時期において、最後にチャート入りしたヒット曲となった。Rate Your Music における評価では、このシングルは1977年の楽曲の第788位となっている。 この「マイ・ベイビー・レフト・ミー」が吹き込まれた1977年、ギタリストのデイヴ・ヒル(英語版)はイングランド北部で様々なインタビューへの対応にあたっており忙しかったので、このシングルのリード・ギターとバッキング・ボーカルを入れることができなかった。代わってジム・リー(英語版)がヒルの代役を務め、吹き込みを済ませた。この曲は、イギリスのテレビ番組でも『トップ・オブ・ザ・ポップス』などで数回演奏され、ドイツのテレビ番組『Disco』や『Rund』でも演奏された。この年[いつ?]は、東ドイツのテレビ放送局でも9回演奏を行なう機会があり、バンドのメンバー個々へのインタビューも行なわれた。この曲のミュージック・ビデオがバンドの演奏場面をフィーチャーしたもので、1979年にファンクラブが行なった投票 (the Slade Fan Club Poll of 1979) において、スレイドのビデオ・トップ3の2位となった。 シングル発売時にレコード評を掲載した『Record Mirror』誌は、「スレイドはクルーダップの昔の曲をぶちかました。こちらも実に楽しい出来だ。だが、スレイドのレコードが楽しいというより、一筋縄ではいかない恐るべきものだった頃のことを、僕はまだ覚えている。自前の曲で恐るべきものだったのであり、昔のものを引っ張り出してきたわけじゃなかった。この路線は、うまくいき始める前に撤退した方がよい。いずれはおぞましいことになってしまうに決まっているからだ。」と記した。『Sounds』誌は、1977年10月15日号でこのシングルを「ベスト・カムバック・シングル」と評し、「この古いクルーダップ作品の素晴らしい仕上がりは、スレイドを易々とチャートに復帰させるだろう。このウキウキした、意気揚々と進む12小節ブルース形式の曲は、これまでスレイドが出してきたほとんどのヒット・シングルには似合わないものだが、今という時代の好みに彼らをつなぎ直すには格好の素材だったのだろう。だが一方では、こうした古いブルースの楽曲の扱いでは、どこかのジョニー・ウィンターとかいう人物がやっている手法とそっくりなので、評価はしづらい面もある。どうなっていくのか、成り行きを見てみよう。」と記した。
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