ウクライナ海軍
ウクライナ海軍
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「ザポリージャ (潜水艦)」の記事における「ウクライナ海軍」の解説
1997年7月11日付けで、ウクライナ海軍へ登録された。潜水艦はザポリージャ市議会の支援を受けたため、同年7月21日付けで U01 「ザポリージャ」に艦名を改めた。ウクライナ海軍では通常、船首に艦番号を記しているが、「ザポリージャ」ではセイル(英語版)に艦番号 U01 が記入された。同年8月1日には、ウクライナとロシア連邦とのあいだの黒海艦隊分割計画の合意により、同年5月28日付けで公式に潜水艦はウクライナ海軍に受領されたことになった。艦上には、ウクライナ海軍旗が掲揚された。8月3日には、バラクラーヴァ湾へ基地を移動した。蓄電池が調達できなかったため、そのまま繋留された。ロシア連邦海軍からは、同年9月8日付けで退役した。ソ連海軍とあわせて、作戦任務の遂行は 14 回となった。 B-435 のウクライナへの引渡しと同時に、当初は姉妹艦 B-9 もウクライナ側へ引き渡される予定であった。しかし、ウクライナのロシアに対する負債のために差し押さえられ、最終的にはロシア政府によって武装解除の上で解体された。 「ザポリージャ」について国防省は2002年の就役を計画していたが、蓄電池がなく完全な任務遂行能力に欠けていたため、これを断念した。そのため、蓄電池の入手先を探し出した。2002年1月10日に、ギリシャの企業「イェルノマス S.A.」とウクライナの非公開株式会社(ロシア語版)「UkrBAT」とのあいだで蓄電池購入に関する契約が結ばれたと報ぜられた。代金として 1800 万フルィーウニャ(約 350 万ドル相当が支払われた。支払いは、ウクライナ鉄道によって賄われた。反ウクライナのロシア右派系ニュースサイトによれば、蓄電池はロシアで購入すれば半値であったが、売却を拒否されたという。 2002年8月には、高圧縮空気ボンベの検査期間満了に伴い、バラクラーヴァ船舶修理工場「メタリースト」で乾ドック入りした。2003年2月22日には修理を終え、進水した。翌2月23日には、ウクライナ海軍の海洋曳船 U830 「コーレツィ」、救難曳船 U705 「クレーメネツィ」、港湾曳船 U947 「クラスノペレコープシク」によって曳航され、バラクラーヴァ湾からキレン湾の小港湾へ移った。 その間、2003年1月16日にはウクライナ海軍の大型揚陸艦(ロシア語版) U402 「コスチャンティーン・オリシャーンシクィイ」がギリシャから蓄電池を輸送するためセヴァストーポリを出港した。1月20日から26日にかけてギリシャ・カヴァラ港に滞在し、1月29日にはセヴァストーポリへ蓄電池を搭載して帰港した。なお、同時にイェウパトーリヤへ運ぶオリンピックの聖火も持ち帰っている。祖国防衛の日(ウクライナ語版)の前日である2月22日には、セヴァストーポリにおいて「ザポリージャ」の進水式が催された。これにより、「ザポリージャ」は現役に復帰した。進水ののち、「ザポリージャ」は黒海艦隊第 13 船舶修理工場へ移動して武装に関する作業と蓄電池の積み込みならびに修理を行う計画になっていた。春には航行試験に入るとアナウンスされた。 2003年3月17日にはウクライナ内閣(英語版)で、「ザポリージャ」の今後に関する各省庁間の検討委員会の設立が採択された。これに関連して、国防省は「ザポリージャ」の保有は海軍に潜水艦隊という兵科を残すだけではなく、対潜艦艇や対潜哨戒機、対潜ヘリコプターに完全な訓練を行わせるために必要不可欠な意義があると主張した。最終的に、委員会は「ザポリージャ」の現役続行を決定した。 2003年3月31日には、セヴァストーポリ・ストリレーツィ湾(ロシア語版)にある黒海艦隊第 13 船舶修理工場に入った。修理のために、「AvtoZAZ-大宇」(ウクライナ語版)とザポリージャ州政府からの資金援助を受けた。11月17日に発表された2004年度の改革計画では、コルベット「テルノーピリ」の就役、コルベット「ザポリージカ・シーチ」の起工と並んで潜水艦「ザポリージャ」の修理完了がその基幹に据えられた。しかし、主に資金面での問題から工期は延び、その後もずっと黒海艦隊第 13 船舶修理工場に入ったままになった。 2006年4月3日に報じられたテレビ・ラジオ会社「ブルィーズ」のインタビューにおいて、 A・S・フルィツェーンコ(ウクライナ語版)国防相は、「ザポリージャ」について否定的な見解を示した。それによれば、第一に黒海には潜水艦戦力を必要とするような軍事的・政治的状況がないこと、第二にこの潜水艦は旧式な過去の遺物であり、実戦能力がないこと、第三に潜水艦配備のためには専門職の教育から基地の整備まで、すべてのインフラを整備しなければならないことを挙げた。従って、潜水艦は退役させるべきであり、修理して外国へ売却する決定を採択した、と述べた。フルィツェーンコ国防相は、「海軍予算の半分を食い尽くす」ミサイル巡洋艦「ウクライナ」と並べて、「ザポリージャ」の退役を説明した。 2007年1月1日には、同型艦を保有するリビア海軍へ修理完了ののち売却する計画であると報道された。同年2月12日付けの別の報道では、インドネシアが購入を希望していると伝えられた。同年6月15日の報道では、総司令部長官・ウクライナ軍総司令官 S・O・クィルィチェーンコ(ウクライナ語版)上級大将は「ザポリージャ」について、この年の末までに航行試験に入る準備を完了すると述べた。そして、「ザポリージャ」は未だウクライナ海軍に在籍しており、その完成は売却を前提としたものではない、ウクライナ海軍では潜水艦のための乗員が準備されており、売却の最終決定がなされない限りウクライナ海軍で現役に留まる、と強調した。なぜなら、もし買い手は誰も現れなかったという最終決定が出た場合、当てもないまま売却目的で建造した潜水艦は与えられた任務を遂行できないということになるからである。同年7月2日には、フルィツェーンコ国防相が「ザポリージャ」はレストランとして完成されるという噂について、何の根拠もないとし、売却するために修理工事が行われていると説明した。 2008年3月15日には、 Yu・I・イェハヌーロウ国防相は「ザポリージャ」の売却をあり得ないこととして否定した。そして、 1 年後には工事を完了して海上で国家試験が行われると述べた。イェハヌーロウ国防相は、同年3月24日には、「ザポリージャ」の修理には 1200 万フルィーウニャ、つまり毎月 100 万フルィーウニャが必要であり、現在のウクライナにはその財力がない、しかし、ウクライナ海軍の訓練には潜水艦が不可欠であると「コメルサント=ウクライナ」紙のインタビューで答えた。同年7月6日には、イェハヌーロウ国防相は「ザポリージャ」の完成のためには、まず 1700 万フルィーウニャの返済が必要であり、さらに作業の完了のために 1000 万フルィーウニャの支払いが必要である、従って、総額で 2700 万フルィーウニャが必要となると説明した。また、作業のうち 700 万フルィーウニャ分は完了しており、残る 1000 万フルィーウニャ分の作業を考えると、航行試験は翌年初頭になるだろうとの展望を示した。この年の12月8日の時点で、「ザポリージャ」の修復工事の進捗度は 75 % であった。予定ではこの年のうちに修理工事を完了するはずであったが、使用予定であった設備がロシア連邦の別の潜水艦 B-380 によって使用されていたため、予定変更を余儀なくされた。 2009年には、黒海艦隊第 13 船舶修理工場で修理作業が新たな段階へ進められることとなった。船体外殻の張替え、底尾部の修理、スクリュー・舵装置の修理、力材パッキングの修理、船首キャプスタンの補修、船体ならびにバラストタンクの洗浄と塗装が行われることとなった。主要動力装置の試験も完全に行われた。3月18日、港湾曳船 U947 「クラスノペレコープシク」に曳航された「ザポリージャ」は、環境対策のため石油廃棄物収集船 U954 MUS-482 を伴って黒海艦隊第 13 船舶修理工場からセヴァストーポリ・トリーツャ湾へ移動した。作業には、セヴァストーポリ商港の離岸曳船「マヤーク」も参加するよう命ぜられた。曳船に曳航され、「ザポリージャ」は浮きドック PD-88 へ入った。「ザポリージャ」艦長の O・A・オルローウ一等佐官によれば、作業日程は 45 日間とされ、その後に乗員は蓄電池を搭載し、繋留試験を行う計画であった。この作業のあいだに底尾部の修理が施工され、船体喫水線下の部分の洗浄と塗装、スクリュー・舵群の点検その他が行われ、潜水艦の稼動に向けた準備作業がなされた。海軍記念日直前の7月3日には、作業の進捗度は 83 % であると発表された。7月18日午後には、セヴァストーポリ商港の離岸曳船「マヤーク」ならびに航路海洋曳船「メハーニク・レーピン」によって「ザポリージャ」は浮きドックから引き出され、蓄電池積み込み作業のため、黒海艦隊第 13 船舶修理工場へ戻った。ウクライナ海軍捜索事故救難作業センターからは港湾曳船 U953 「ドゥーブノ」が派遣され、また環境対策のため海軍の石油廃棄物収集船 U954 MUS-482 も出動した。 2009年9月には、黒海艦隊第 13 船舶修理工場において蓄電池の積み込み作業が行われた。この時点で、修理完了のためには 1000 万フルィーウニャが必要であるとされた。7月の時点では同年末までに「ザポリージャ」は航行試験に入るとアナウンスされていたが、実際には修理は完了しなかった。 2010年1月には蓄電池が搭載され、ソナーとレーダー装置、通信装置の修復が行われた。2月4日には、セヴァストーポリにおいて繋留試験および航行試験のための準備指示が、海軍司令官 I・I・テニューフ(ロシア語版)海軍大将から出された。3月20日には、ラジオ「モスクワのこだま」(ロシア語版)のインタビューで、ロシア連邦海軍総参謀長第一代理である O・V・ブールツェフ海軍中将が、ウクライナの新大統領( V・F・ヤヌコーヴィチ)とのとの関係改善により、潜水艦の作業についてロシア政府はウクライナに積極的に協力することにした、と宣言した。4月初頭には航行試験についての協議がウクライナ海軍と協力関係にあるトルコ海軍とのあいだでなされ、航行試験までの実務的協力が得られることになった。2010年10月には、「ザポリージャ」の乗員グループから選ばれた士官 4 名が研修を受けるためにロシア連邦海軍黒海艦隊の大型潜水艦「アルローサ」に出向した。彼らは難破した潜水艦からの脱出の際の手順を訓練し、出航の際の艦の点検を「アルローサ」の乗員とともに行った。10月6日には、海上での実務遂行に加わった。研修は10月15日に完了した。テレビ・ラジオ会社「ブルィーズ」のインタビューに答えた Yu・イリイーン海軍少将によれば、乗員は「アルローサ」が黒海艦隊の水上艦隊と行った合同演習にも参加する機会もあった。2010年12月に潜水艦は修理を終える予定とアナウンスされている。 Yu・イリイーン海軍少将はテレビ・ラジオ会社「ブルィーズ」のインタビューの中で、「ザポリージャ」は2010年12月に繋留試験、2011年5月に航行試験を開始し、そののちウクライナ海軍へ就役すると説明した。 2012年、「ザポリージャ」はウクライナ海軍に再就役し、8月22日に最初の試験航海を終えた。すでに艦齢は42年に達しての再就役だが、将来新型潜水艦を導入した際のための訓練に用いられるとされている。
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「フォックストロット型潜水艦」の記事における「ウクライナ海軍」の解説
1997年にロシア海軍のB-435を購入。ザポリージャに改名して編入したが、運用されずに保管・修理を繰り返した後に、2007年に外国への売却が発表された。しかしその後も処遇が二転三転し、ドック入りして修理中だったが、2012年にウクライナ海軍へ再就役したが、2014年クリミア危機でロシア軍がセヴァストポリを占拠と同時にその港に係留されているサポリージャも接収され半ば強引に編入された。
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ウクライナ海軍
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「ポモルニク型エアクッション揚陸艦」の記事における「ウクライナ海軍」の解説
ウクライナ海軍は黒海艦隊所属のポモルニク型全艦を編入したが、2005年を以って全艦が稼動状態から外れ、2008年には最後まで残っていたドネーツィクの退役が調印されている。2014年のロシアによるクリミア併合までに2隻が中華人民共和国に譲渡された。2015年にロシア企業ロソボロネクスポルト(英語版)はウクライナが中国と交わしていたポモルニク型を建造する契約をロシアが引き継ぐことを表明した。 U420 ドネーツィク U421 イヴァン・ボフーン U422 クラマトールシク(旧MDK-57) U423 ホールリウカ(旧MDK-93) U424 アルテーミウシク(旧MDK-123) MDK-??(工場番号第306号艦、未完成)
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