独立ウクライナ
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「ウーマニ (ミサイル艇)」の記事における「独立ウクライナ」の解説
ソ連が崩壊すると、黒海艦隊に所属していた206MR型大型ミサイル艇の帰属はロシア海軍とウクライナ海軍の間で争われることになった。最終的に、R-260は1995年12月30日付けでロシア海軍を除籍となり、ウクライナ海軍へ編入された。1996年1月10日には、R-260は西ウクライナの都市に因んでU152 ウーマニと改称された。 その後、ウクライナ海軍では財政的な事情と艇自体の老朽化により206MR型ミサイル艇の退役を進めた。2007年現在、ウーマニは予備役に入れられており稼動状態にない。なお、ウーマニは2001年にグルジアに引き渡され、エドゥアルド・シェワルナゼ大統領に因んで改称されたという情報もあったが、2006年時点でセヴァストーポリに繋留されている写真が公開されており、その事実関係は断定できない。2011年に、船体の老朽化による浸水で沈没した。
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独立ウクライナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/16 16:23 UTC 版)
「カホーウカ (ミサイル艇)」の記事における「独立ウクライナ」の解説
ソ連崩壊後、黒海艦隊に所属していた206MR型大型ミサイル艇の帰属はロシア海軍とウクライナ海軍の間で争われることになった。最終的に、R-265は1995年12月30日付けでロシア海軍を除籍となった。ウクライナ海軍へ編入されたR-265は、1996年1月10日には、中部ウクライナの歴史ある都市に因んでU154 カホーウカと改称された。 その後、ウクライナ海軍では財政的な事情と艇自体の老朽化により206MR型ミサイル艇の退役を進めた。結局、グルジアに譲渡されたU150 コノトープを除いては、稼動状態に置かれたのはU154 カホーウカとU153 プルィルークィのみであった。これら残る2 隻も2007年中には除籍される予定であったが2008年まで運用するという情報もあり、事実2008年9月時点で現役に留まっている。同年8月には、南オセチア紛争に派遣されてセヴァストーポリに帰港したロシア艦隊に対し出動した。
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独立ウクライナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 10:09 UTC 版)
「ツュループィンシク (ミサイル艇)」の記事における「独立ウクライナ」の解説
ソ連が崩壊すると、黒海艦隊に所属していた206MR型大型ミサイル艇の帰属はロシア海軍とウクライナ海軍の間で争われることになった。最終的にR-251は1995年12月30日付けでロシア海軍を除籍となり、ウクライナ海軍へ編入された。1996年1月10日には南ウクライナの都市の名に因んでU151 ツュループィンシクと改称された。 その後、ウクライナ海軍では財政的な事情と艇自体の老朽化により206MR型ミサイル艇の退役を進めた。ツュループィンシクは2002年には海軍を除籍され、解体のためトルコに売却された。 ツュループィンシクの退役は、搭載する主砲を新造コルベット・テルノーピリに再利用するためであったとされる。テルノーピリはキーウで建造中であったが、造船所には新造艦のための主砲の在庫がなく、さらにロシアからの購入も失敗に終わった。ツュループィンシクから主砲を入手したテルノーピリは、2006年にようやく竣工することができた。
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独立ウクライナ
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「プルィルークィ (ミサイル艇)」の記事における「独立ウクライナ」の解説
ソ連が崩壊すると、黒海艦隊に所属していた206MR型大型ミサイル艇の帰属はロシア海軍とウクライナ海軍の間で争われることになった。最終的に、R-262は1995年12月30日付けでロシア海軍を除籍となった。ウクライナ海軍へ編入されたR-262は、1996年1月10日には、中部ウクライナの歴史ある都市に因んでU153 プルィルークィと改称された。 その後、ウクライナ海軍では財政的な事情と艇自体の老朽化により206MR型ミサイル艇の退役を進めた。結局、グルジアに譲渡されたU150 コノトープを除いては、稼動状態に置かれたのはU153 プルィルークィとU154 カホーウカのみであった。これら残る2 隻も2007年中には除籍される予定であり、同年7月1日に開催された一般公開イベントがプルィルークィにとって最後の晴れの舞台となる見込みであったが2008年まで運用するという情報もあり、事実2008年9月時点で現役に留まっている。 2011年5月現在現役であり、定期的な修理を受けている。
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独立ウクライナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:27 UTC 版)
ソビエト連邦の崩壊とウクライナの独立に伴い、1991年12月12日にウクライナ領内に駐屯していたソ連海軍を基にウクライナ海軍が設立された。クリミア半島の帰属問題と並び、黒海艦隊の艦艇についてもロシア連邦との間で配分問題が生じたが、1997年5月に艦艇を双方に二分することで配分問題は合意した。 主要な基地は、セヴァストーポリのほか、オデッサ、オチャーキウ、フェオドーシヤなどにある。なお、回転翼機を中心としたウクライナ海軍航空隊も編制されている。 ウクライナ海軍は、設立当初こそ航空巡洋艦やミサイル巡洋艦、多くの新型艦艇の保有などに熱意を示したものの、結局すぐに所有艦艇の漸減を開始した。1990年代から2000年代前半中にフリゲートの大半と半数程度のコルベット、実質すべての小型揚陸艦が退役し、その他多くの艦艇も退役ないし保管状態に置かれた。その反面、新しいコルベット・テルノーピリの竣工など2000年代に入ってから艦隊の増強も行われ始めた。また、北大西洋条約機構(NATO)あるいはロシアとの合同演習への参加も毎年行っており、これまでコルベットのルーツィク、テルノーピリ、フリゲートのヘーチマン・サハイダーチュヌィイほか、多くの艦艇が参加している。しかし、ウクライナの経済状態は国民の基本的な生活にも厳しいものであり、海軍の運営はままならなかった。 それでも2007年度までは多くの艦艇が活発に稼動していたが、その年の11月に黒海上で発生した大嵐によって多くの艦艇が埠頭にぶつかったり互いに衝突したりして損傷を負い、2008年中頃まで多くの艦艇が活動できない状況に陥った。特に激突した指揮艦のスラヴーティチとコルベットのヴィーンヌィツャは船体をひどく損傷し、修理に長期を要した。ヴィーンヌィツャの修理は翌2008年まで長引いたが、それは激しく損傷した船首の復旧に加え、衝突時の衝撃で生じていたエンジン関係に不具合や船体各所の亀裂の修理が必要となったためであった。この他、大型揚陸艦のコスチャンティーン・オリシャーンシクィイ、コルベットのルーツィク、テルノーピリ、係留中の指揮艦ドンバスをはじめ、艦隊の主要な艦艇のほとんどが損傷を受けた。
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