ウクライナの主なラーダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 00:45 UTC 版)
ウクライナの各時代・各勢力におけるラーダ。 ヘネラーリナ・ラーダ 「全体議会」と訳される、コサック政府の中心議会。身分に関係なくすべてのコサック成員が参加する。ヘーチマンはここで選出された。 ラーダ・スタルシーン 「長老議会」と訳される。当初は選挙によって選ばれたヘーチマン、参謀部幕僚、連隊長などで構成されていたが、のちにこれらの「長老」(スタルシナー)は世襲化され、貴族化し、コサック国家の大原則であった平等性を脅かすこととなった。 ウクライィーンスィカ・ツェントラーリナ・ラーダ 1917年3月に結成された政治組織で、「ウクライナ中央ラーダ」、あるいはたんに「中央ラーダ」、「民族議会」と訳される。ロシア連邦内でのウクライナの自治確立を目指し、臨時政府によって認められた。しかしながら、十月革命には賛同せずウクライナ人民共和国として独立を宣言したため赤軍がウクライナへ侵攻して内戦となった。結局はドイツ軍のクーデターによって解散された。中央ラーダ勢力の残党は、のちにディレクトーリヤ政府を作った。 ラーダ・ナロードヌィフ・ミニーストリウ 1918年に組織されたウクライナ中央ラーダの後継機関。「国民閣僚ラーダ」、「人民大臣ラーダ」などと訳される。「国民の大臣たちのラーダ」というのが直訳的な名称となる。 ウクライィーンスィカ・ナツィオナーリナ・ラーダ 1947年から1948年に結成された亡命ウクライナ人民共和国政府の後継組織。「ウクライナ国民ラーダ」と訳される。 ヴェルホーヴナ・ラーダ・ウクライィーヌィ 現在の独立ウクライナの国会。「最高議会」と訳される。 この他、ミスィカー・ラーダ(市議会)からソ連時代のソヴィエトまで、議会と名の付くものはウクライナではすべてラーダである。
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