ウクライナ民族主義への弾圧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:22 UTC 版)
「ホロドモール」の記事における「ウクライナ民族主義への弾圧」の解説
スターリンのウクライナ嫌いは非理性的でかつ徹底的であった。1929年4月、OGPUはウクライナ民族主義グループの摘発をはじめ、7月にはウクライナ解放同盟が逮捕された。1930年春のハリコフの公開裁判ではウクライナ社会主義連邦党首セリー・エフレーモフらに自白が強要され、有罪となった。 1930年1月22日、スターリンは「民族問題の本質は、農民の問題である」と宣言し、ウクライナにおける集団化の目的は、「ウクライナ民族主義の社会的基礎、つまり個人の土地財産をつぶすことだ」と表明した。 ウクライナ共産党書記長コシオールはウクライナの収穫高の壊滅的減少について知っていたがスターリンの集団化政策を推進し、飢饉の原因はウクライナの民族主義にあると断言した。 共産党は、富農はウクライナ民族主義者の支援者であり、ウクライナ民族主義者は富農の支援者であるとみなした。スターリンは、集団化が失敗したウクライナと北カフカースは粉砕しなくてはならないと結論した。しかし、実際にはウクライナ農民の70%がコルホーズ員になっており、ロシアでの59.3%よりも集団化が進んでいた。
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