アメリカ陸海軍の不協和音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:17 UTC 版)
嘉数高地で陸軍が苦戦している間、沖縄沖合でアメリカ海軍艦艇は日本軍の特攻を主力とした激しい攻撃に曝されており、4月中に20隻の艦船が撃沈、157隻が撃破されて、アメリカ海軍将兵の戦死・行方不明者1,853名、戦傷者2,650名に達する大きな損害を被っていた。太平洋艦隊官は、1945年4月12日に戦況報告のため腹心のフォレスト・シャーマン太平洋艦隊司令部戦争計画部長を沖縄に派遣したが、その際にアーネスト・キング海軍作戦部長に「直衛艦艇と哨戒艦艇を1隻ずつ狙い撃ちにする特攻機により、現在受けつつあり、また将来加えられると予想される損害のため、スプルーアンスとターナーは2人とも、(アメリカが)投入可能な駆逐艦および護衛駆逐艦全てを太平洋に移動する必要がある点を指摘している。我が軍の艦艇は特攻機に打ち勝って生き残ることができるような感じはするが、今後数か月入手可能な全直衛艦艇が我々にとって必要となるだろう。」と戦況報告している。 ニミッツは、陸軍の進撃速度のあまりの遅さに、バックナーは陸軍の損害を軽減させるために、海軍を犠牲にしてわざと慎重な手法を使っていると疑っており、現場の指揮には口を挟まないという方針を崩して、バックナーの作戦指導に介入する為に4月22日にアレクサンダー・ヴァンデグリフト海兵隊総司令官を連れて、自ら沖縄に出向いている。バックナーは慎重な作戦を好んだが、海軍や海兵隊よりは積極性に欠けるとの評価で不満が燻っており、普段温厚なニミッツも、会談中にあまりにも慎重なバックナーの姿勢に激高し「他の誰かを軍司令官にして戦線を進めてもらう。そうすれば海軍はいまいましいカミカゼから解放される」と詰め寄っている。 この際にニミッツとヴァンデグリフトが提案したのは、頑強な日本軍防衛線の背後に、サイパンで待機中の第2海兵師団の残存部隊を上陸させて、防衛線の背後をつくというものであり、レイテ島の戦いのオルモック上陸作戦での成功を再現できると海兵隊も乗り気であった。 しかし、バックナーは4月6日に特攻により2隻の弾薬を満載したビクトリー型輸送艦が撃沈されたことにより、火砲の弾薬が不足しており、新たな上陸作戦で第2の戦線をつくりだすと、補給システムが崩壊することを懸念したため、この作戦提案に同意しなかった なおも、第6海兵師団レミュエル・C・シェパード(英語版)師団長は「第2海兵師団なら外部の補給線がなくとも30日間は持ち堪える」「彼らならやれる。やらしてほしい」と直談判したが、バックナーは、海兵隊が上陸を計画していた港川周辺の海岸は絶壁に阻まれており、日本軍砲兵隊の眼下に上陸することになると考え「そんなことをしたらアンツィオ上陸作戦より酷い事になる」と説き、海兵隊の申し出を却下した。 バックナーは1943年に司令官として、アッツ島の戦いといったアリューシャン列島奪回作戦を圧倒的物量の投入による正攻法で成功させた為、沖縄戦についても正攻法を貫き通す意向であった。 しかし、戦後にアメリカ軍から尋問された八原が「5月までには南部海岸の防衛の望みはなくなっており、米軍がなぜ上陸作戦を行わないのか、第32軍幕僚の中でも話題になっていた」と当時の日本軍の状況を語っており、このバックナーの選択はアメリカ陸軍戦史家から、戦況を一気に変える可能性がある日本軍防衛線背後への強襲上陸の提案を拒否したのは歴史上の転機になったと評された。 スプルーアンスは、配下の艦隊のあまりの特攻被害に「特攻機の技量と効果および艦艇の喪失と被害の割合がきわめて高いので、今後の攻撃を阻止するため、利用可能なあらゆる手段を採用すべきである。第20空軍(アメリカ陸軍航空軍)を含む、投入可能な全航空機をもって、九州および沖縄の飛行場にたいして、実施可能なあらゆる攻撃を加えるよう意見具申する」 という戦況報告と、陸軍航空軍戦略爆撃機部隊のB-29などによる航空支援の要請を行っている。カーチス・ルメイ少将は、B-29は日本の都市を焼夷弾で絨毯爆撃することが戦争遂行に最も寄与することと考えており、B-29を戦術爆撃任務に回すことに難色を示したが、スプルーアンスの懇願を受けたニミッツの強い要請により、B-29の戦力の75%、延べ2,000機が、日本の都市や工業地帯への絨毯爆撃から、 九州の航空基地の攻撃に振り向けられ、一時的ではあったが、本土の大都市や工業地帯の爆撃による被害が軽減されている。 しかし、B-29は分散していた特攻機に損害を与えることができず、九州や台湾の航空基地にすぐに埋め戻される穴を開けたに過ぎなかった。陸軍航空軍の働きに失望したスプルーアンスは「彼ら(陸軍航空軍)は砂糖工場や鉄道の駅や機材をおおいに壊してくれた」と皮肉を言い、5月中旬にはルメイへの支援要請を取り下げて、B-29は都市や産業への戦略爆撃任務に復帰している。 スプルーアンスは、陸軍航空軍がほとんど成果を挙げなかったと考えており、下記のように自分らを苦しめている特攻と対比し非難している。 特攻機は非常に効果的な武器で、我々としてはこれを決して軽視することはできない。私は、この作戦地域にいたことのない者には、それが艦隊に対してどのような力を持っているか理解することはできないと信じる。それは、安全な高度から効果のない爆撃を繰り返している陸軍の重爆撃機隊のやり方とはまったく対照的である。私は長期的に見て、陸軍のゆっくりとした組織的な攻撃法をとるやり方の方が、実際に人命の犠牲を少なくなることになるかどうか、疑問に思っている。それは、同じ数の損害を長期間にわたって出すに過ぎないのである。日本の航空部隊がわが艦隊に対して絶えず攻撃を加えてくるものとすれば、長期になればなるほど海軍の損害は非常に増大する。しかし、私は陸軍が海軍の艦艇や人員の損耗について考慮しているとは思えない。 — レイモンド・スプルーアンス。 一方で、スプルーアンスに非難されたルメイも「B-29は戦術爆撃機ではなく、そんなふりをしたこともない。我々がどんなに飛行場を叩いても、カミカゼの脅威をゼロにすることはできなかった。」と自らの飛行場爆撃の効果を疑問視していた。 以上の通り、沖縄戦では海軍が特攻を主体とする日本軍の航空攻撃により大きな損害を被る一方で、陸軍が日本軍の激しい抵抗により容易に進撃できず、海軍に余裕がなくなり陸軍への不信感を増大させていた。
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