アメリカ陸軍による初期の研究
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「攻撃ヘリコプター」の記事における「アメリカ陸軍による初期の研究」の解説
フランス陸軍の試みからやや遅れて、アメリカ陸軍もヘリコプターの武装化についての検討を開始した。陸軍航空学校では、1955年4月に行われたエイブル・バスター計画において陸軍の航空機による対戦車戦闘について検討したのを端緒として、翌1956年6月、同学校の学校長であるカール・ハットン准将は、同校の戦闘開発部長を務めていたジェイ・バンダープール大佐に対して武装ヘリコプターに関する研究を進めるように指示した。7月には、H-13ヘリコプターに12.7mm機銃2挺とエリコン8cmロケット弾4発を搭載しての射撃試験が開始された。まずは地上のプラットフォームに固定した状態で射撃試験を行った後、高度100フィート (30 m)でのホバリング、ついで低速での前進飛行中の試験が行われ、いずれも成功した。 これらの成功を受けて、1957年3月には、陸軍航空学校から改編された航空教育研究センターに空中騎兵小隊(暫定)が編成されることになり、11月には航空戦闘偵察小隊(ACRP)に改称、更に翌年3月には中隊規模に拡張されて第7292臨時航空戦闘偵察中隊と改称された。様々な搭載例が試験され、最も重武装の構成としては、H-34に対し、20mm機関砲2門と12.7mm機銃3挺、7.62mm機銃6挺、2.75インチロケット弾の20連装ポッド2基、5インチロケット弾2発を搭載したこともあった。また1958年中盤には、フランス軍と同様にSS.10対戦車ミサイルの搭載も試みられた。これらの検討を経て、1960年5月からは、ヘリコプターを武装化するためのキットの調達が開始された。H-13ヘリコプターには7.62mm連装機銃、また調達が開始された直後のHU-1B(後のUH-1B)ヘリコプターのためのSS.11対戦車ミサイルの搭載キットも調達された。 H-34への7.62mm機関銃2挺および70mmロケット弾24発の搭載例 OH-13へのM37C 7.62mm機関銃2挺の搭載例
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