「高貴な野蛮人」の前史とは? わかりやすく解説

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「高貴な野蛮人」の前史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 05:43 UTC 版)

高貴な野蛮人」の記事における「「高貴な野蛮人」の前史」の解説

近代的な意味での「高貴な野蛮人と言う概念は、17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパ紀行文学において発生したが、タキトゥス西暦98年頃に記した『ゲルマニア』その先駆例だと考えられている。「高貴な野蛮人と言う概念原点として他に挙げられるのが、「イスラエルの失われた10支族伝説と「プレスター・ジョン伝説で、彼らは太古の昔において西洋人宗教的な縁戚関係にあり、植民地所在する先住民の中から彼らを見つけ出すことが、殖民地調査の目的一つとしてあった。「高貴な野蛮人」として扱われる別の例として、モンゴル帝国皇帝大ハーン)が挙げられるヨーロッパ人によるアメリカ大陸の発見以降先住民指して言う「野蛮人」との言葉は、植民地主義正当化するために軽蔑的に使用された。「野蛮」の概念は、先住民が既に実用的な社会構築しているという可能性考慮せず一方的に植民地設置するための、かりそめの権利ヨーロッパ人与えた16世紀末から17世紀にかけて、ヨーロッパ人フランス宗教戦争ユグノー戦争)と三十年戦争苦難包まれる中で、「野蛮人」の姿がヨーロッパ文明対す非難として立ち上がってくるようになり、この存在次第に「良き野蛮人」と綴られるようになるミシェル・ド・モンテーニュは、彼の有名なエッセイ『Of Cannibals(人食い人種について)』(1580年)において、ブラジルのトゥピナンバ族が名誉の問題によって死んだ敵の遺体儀礼的に食べていると報告した。しかしまたモンテーニュは(彼自身カトリック教徒だったが)、ヨーロッパ人宗教的な見解の相違問題によって互いに生きたまま火あぶり処しあうことを仄めかしヨーロッパ人振る舞いはもっと野蛮ですらあることを、読者思い起こさせた。曰く「人は、見慣れない物は何でも『野蛮』と呼ぶ」。 テレンス・ケイブ(イギリス文学者)の解説によると、 人食いという習慣は(モンテーニュによって)認められていますが、しかし複雑でバランスのとれた慣習信念体系一部分であるから、その行為自体が「理にかなった」ものとして描写されています。彼らは勇気誇りに関して強力にポジティブ倫理に従っており、それはヨーロッパ近代初期の名誉の規範訴えであろう物であり、そして、拷問野蛮な処刑方法などと言った明白に魅力欠けるものとして表現されるフランス宗教戦争ユグノー戦争)の行動様式とは対照的であり…(以下略) 『人食い人種について』では、モンテーニュ風刺目的文化相対主義(ただし道徳的相対主義ではない)を使用していた。原住民人食い高貴でも並外れて優れているわけでもなかったが、同時にまた、彼らは同時代16世紀ヨーロッパ人より道徳的に劣ることが示唆されていたわけでも無かった古典的人道主義者評されるモンテーニュは、「一般的に人類は、たとえ風習異なっても、さまざまな形をとって残虐行為をしがちである」と描写しており、そしてそのような人類特質モンテーニュ嫌っていた。デビッド・エル・ケンツ(フランス研究者)の解説によると、 モンテーニュ著書随想録』において(中略フランス宗教戦争における初期3つの戦争(1562〜63、1567〜68、1568〜70)を非常に具体的に論じました。彼は個人としてこの戦争参加しており、フランス南西部国王軍の側に付いていましたサン・バルテルミの虐殺きっかけに、彼は退役してペリゴール地方故郷帰り1580年代まですべての公務において沈黙守りましたこのように、彼は虐殺トラウマ負ったようです。「残酷さ」は彼にとって、彼が理想化していた過去紛争フランス宗教戦争とを区別する基準でした。モンテーニュは、通常の戦争から内戦大虐殺へと移行したのは次の3つの要素理由だと考えました。すなわち、戦争へ民衆介在宗教的扇動、そして紛争泥沼化です(中略)彼は狩猟イメージ通じて残酷さ描写することを選択しました。血と死に関連すること理由として、狩猟に対して批判伝統的について回りましたが、この慣習貴族としての生活の一部であった以上、それはまだまだ非常に驚くべきことでした。モンテーニュ狩猟都市における虐殺場面として描写することによって悪罵しました加えて言うと、人間と動物の関係によって、彼は徳行virtue)を定義することができました。彼は徳行を残酷の反対として表現してます。中略個人的な感覚に基づく、(中略一種生得的な慈悲として。(中略モンテーニュは、動物対す残虐行為性向を、人間に対して行使されるそれと関連付けました。結局のところ、「サン・バルテルミの虐殺の後、シャルル9世ルーヴル宮殿の窓からユグノーどもを撃った」というでっち上げイメージは、王のハンターとしての確立され評判と、ハンティング対する「残酷で歪んだ慣習だ」という烙印、これらが組み合わさったものではなかったでしょうか? — David El Kenz、Massacres During the Wars of Religion スペイン人コンキスタドールによる先住民族扱いも、多く罪の意識と逆非難生み出したコンキスタドール暴虐目撃したスペイン司祭バルトロメ・デ・ラス・カサスは、アメリカ先住民族単純な生活を理想化した最初の人であった可能性がある。ラス・カサスらは先住民族観察して、その単純な作法賞賛し、特にバリャドリッド論争過程で、彼らは嘘をつくことができなかったと報告した植民地主義巡ってヨーロッパ人苦悩は、西インド諸島スリナムにおける奴隷反乱扱ったアフラ・ベーン小説オルノーコ』(1688年のようなフィクション作品における処遇現れている。ベーン物語基本的に奴隷制対す抗議ではなく、むしろお金儲けのために書かれたもので、ヨーロッパロマンス小説お約束に従うことで読者期待応えたものであった反乱指導者オルノーコは、世襲アフリカ王子であり、遥かなるアフリカ故郷哀悼するにあたって古典的黄金時代を語る際の伝統的な表現用いているという点で本物貴人である。彼は野蛮ではないが、ヨーロッパ貴族のような服を着てヨーロッパ貴族のようにふるまう。ベン物語は、感傷的な側面強調したアイルランド劇作家トーマス・サザーンによって舞台化され、時が経つにつれて奴隷制度植民地主義問題扱った作品見なされるようになり、18世紀通じて大きな人気維持した

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